2026.7.5メッセージ内容

「一人の人・アダムとキリスト」 ローマ 5:12-17

「もし一人の違反により、一人によって死が支配するようになったのなら、なおさらのこと、恵みと義の賜物をあふれるばかり受けている人たちは、一人の人イエス・キリストにより、いのちにあって支配するようになるのです」(ローマ5:17)

1、一人の人・アダムとキリストの対比

「こういうわけで、ちょうど一人の人によって罪が世界に入り、罪によって死が入り、こうして、すべての人が罪を犯したので、死がすべての人に広がったのと同様に-」(12節)と、神に創造された最初の人・アダムが罪を犯して死ぬ者となり、その後全人類が罪人となり、死ぬ存在となったと創世記の人類の堕落の起源が言及されています。アダムという「一人の人」が史実として存在していたのです。この人は私たちにとっても特別な人です。アダムによって、罪を理解し、自分もアダムと同じ罪人であると認識するのです。

そして、「神の恵みと、一人の人イエス・キリストの恵みによる賜物は、なおいっそう、多くの人に満ちあふれるのです」(15節b)と、このイエス・キリストも私たちにとって特別な人です。キリストによって、神の恵みと義といのちを理解し、自分がイエス・キリストによって救われたことが永遠に、絶対であることを確認するのです。

2、一人の人・アダムによる罪と死の支配

全人類は皆罪人であり、皆死ぬ存在なのは、アダムの罪が起因しています。「アダムは知らない、アダムの罪は私には関係ない」と言い放ったとしても、全ての人が罪を犯し死ぬ存在です(14)。アダムが罪を犯し、アダムが死ぬ存在となったことで、全人類が皆同じようになってしまっているという厳然とした事実があるのです。

「一人の人」→「全人類に及ぶ」という否定できない絶対の構図があります。神は、この人類絶望の構図と同じ構図によって、救いを行ってくださることを予告しています。「アダムは来たるべき方のひな型です」(14節b)。

3、一人の人イエス・キリストによる恵みと義の賜物によるいのちの支配

アダムもキリストも、「一人の人」→「全人類」の構図は、全く同じで例外はありません。しかし、両者には、決定的な違いがあります。

アダムの場合:「一人の違反」(15節)「一人の人が罪を犯した」「一つの違反」(16節)は、「あなたは園のどの木からでも思いのまま食べてよい。しかし、善悪の知識の木からは、食べてはならない。その木から食べるとき、あなたは必ず死ぬ」(創世記2:16−17)との神の命令を破ったことです。その結果、死ぬ存在となったのです。人は神との断絶という霊的死、肉体の死、永遠の死に支配されることになったのです。アダムが起因となり、全人類の絶望の構図です。

キリストの場合:キリストはアダムのひな型を踏襲し、同じ構図です。しかし、違いは、罪や死ではなく、「恵みの賜物」「一人の人イエス・キリストの恵みによる賜物」(15節)「恵みと義の賜物」(17節)です。主イエス・キリストの十字架の贖いのことです。この一人の人イエス・キリストの一つの救いの事実が全人類に及んだのです。そしてそれは、アダムに起因する罪と死の支配よりも、「なおいっそう、多くの人に満ちあふれるのです」(15節)。

一人の人イエス・キリストによる救いによって、全人類に恵みと義が与えられ、永遠の命が与えられていることは、絶対で永遠であると確信できると宣言しているのです。神がイエス・キリストによってなされた「神の御業」です。 ハレルヤ

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