「義認と復活」 ローマ 4:23-25
「しかし、『彼には、それが義と認められた』と書かれたのは、ただ彼のためだけでなく、私たちのためでもあります。すなわち、私たちの主イエスを死者の中からよみがえらせた方を信じる私たちも、義と認められるのです」(23−24節)。
主イエス・キリストの十字架と復活を信じる信仰によって、神に義と認められる「信仰義認」の結論部分が、本日の聖書箇所です。
神への祈りが聞き届けられると確信できることも、この世で信仰生活を歩み続けることができることも、生涯を終え天の御国に導き入れられることも、すべては「信仰義認」によるのです。
ただ、「信仰義認」に「自分の義による救い」が入り込んでしまうと、私たちは「信仰義認」が曖昧になり、神の恵みから離れ、信仰の確信が失われてしまいます 。私たちは、「信仰義認」を繰り返し再確認することが大切です。
1、私たちの信仰義認の再確認
ローマ書4章では、アブラハムの信仰生涯は「信仰義認」を証明しています(22節)。アブラハムの古事で終わってしまうと「絵に描いた餅」で、自分とは関係がないとなってしまいます。信仰を再確認する秘訣は、聖書に記されている人物が他人事ではなく、自分事となり、神は同じように自分にも当てはめて下さることです。
「しかし、『彼には、それが義と認められた』と書かれたのは、ただ彼のためだけでなく、私たちのためでもあります」(23、24a節)と、私たちに焦点を合わせています。アブラハムの信仰生涯は、最初から最後まで「信仰義認」が貫かれていました。それは、彼自身が立派な信仰を持っていたのではなく、むしろ、不信仰や大失態「にもかかわらず」、神の方から語りかけ、信仰義認を再確認させ、彼を立ち上がらせたのです。神は、私たちにとっても、「にもかかわらず」の神です。
2、主イエスの復活による義認
アブハラムは死者を生かす神を信じました。それは、神の約束の子イサクをモリヤの山で捧げたことです(創世記22章)。「彼は、神には人を死者の中からよみがえらせることもできると考えました。それで彼は、比喩的に言えば、イサクを死者の中から取り戻したのです」。(ヘブル11:19)。
神が主イエスを死者の中から復活させたことを信じることによって、私たちは神に義と認められたのです。「すなわち、私たちの主イエスを死者の中からよみがえらせた方を信じる私たちも、義と認められるのです」(24節)。神が私たちのために成してくださった最高最大の出来事は、主イエスの復活です。そのことを信じないことは、最大の不信仰になってしまいます。
3、主イエスの十字架の死による義認
「主イエスは、私たちの背きの罪のゆえに死に渡され、私たちが義と認められるために、よみがえられました」(25節)。主イエスの復活の前の十字架の死は、「私たちの背きの罪のゆえ」です。罪とは、神に背く事で、反逆、不信仰、無関心です。その罪人のために、神は、主イエスを十字架の「死に渡され」たのです。「キリストは自ら十字架の上で、私たちの罪をその身に負われた」(Iペテロ2:24)。
「私たちの主イエスを死者の中からよみがえらせた方を信じる私たちも、義と認められるのです」(24節)。