2026.6.7メッセージ内容

「神との平和」 ローマ 5:1-5

「こうして、私たちは信仰によって義と認められたので、私たちの主イエス・キリストによって、神との平和を持っています」(1節)

自分の「立ち位置」を見失うと、混乱し、暴走してしまいます。「信仰義認」とは、神が主イエス・キリストによって、私たちに与えて下さった神の御前での自分の「立ち位置」です。「このキリストによって私たちは、信仰によって、今立っているこの恵みに導き入れられました」(2節a)。

1、神との平和(1節)

 私たちは、過去、罪を犯し神と敵対していました。その結果、自分は生きる意味を失い、人との関係も不和状態でした。

しかし、「私たちの主イエス・キリストによって、神との平和を持っています」(1節)と、神と義なる(正しい)関係になり、神の御前で、「平和」(平安)の内に生きることができるようになりました。

この「神との平和」が、信仰生活の土台です。「信仰義認」は、神がキリストの十字架と復活の救いによって成された神の御業ですので、私たちがどんな状態になったとしても、永遠に変わることがないのです。神との平和も失われることはありません。

2、神の栄光にあずかる望みを喜ぶ(2節)

「神の栄光にあずかる望み」とは、神を見ることです。「心のきよい者は幸いです。その人たちは神を見るからです」(マタイ5:8)。将来、主イエス・キリストの再臨の時に、主の栄光の御姿を見ることになります。その時に、主イエスを信じる者は栄光の体に変えられ、天に引き上げられ、主イエスに迎えられます。

「信仰義認」によって、神との平和が与えられ、将来、神の栄光にあずかる望みを、喜んでいるのです。「この望みは、失望に終わることがありません」(5節a)。この望みも、どんなことがあっても、無くなることはありません。

3、苦難さえも喜ぶ(3節)

私たちの現実の生活は、苦難の連続です。将来の信仰生活のゴールの望みを喜ぶならば、「それだけでなく苦難さえも喜んでいます」(3節a)と確信することができます。現実の苦難に押しつぶされてしまい、信仰を捨てることにはならないのです。それどころか、ますます、神と主イエス・キリストに近づき、祈り、信頼することになるのです。苦難の中に神の臨在があるのです。

「苦難が忍耐を生み出し」ます。生み出すのは自分ではなく、主イエス・キリストです。主は私たちの苦難を同じように経験し、同情し支えてくださるのです。「私たちの大祭司は、私たちの弱さに同情できない方ではありません。罪は犯しませんでしたが、すべての点において、私たちと同じように試みにあわれたのです」(ヘブル4:15)。

「忍耐が練られた品性を生み出し」ます。主を信頼し忍耐することによって、「試験済」の強固な信仰になり、品性が成熟していきます。

「練られた品性が希望を生み出し」ます。信仰が成熟し、神の栄光にあずかる希望を持って、信仰生涯を全うすることができるのです。私たちの信仰生活は苦難を経験しますが、苦難、忍耐、練られた品性、希望と進んで行くのです。 全ては信仰義認が土台となっているのです。

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