「聖潔に至る実、永遠のいのち」 ローマ 6:15-23
「しかし今は、罪から解放されて神の奴隷となり、聖潔に至る実を得ています。その行き着くところは永遠のいのちです。」(ローマ6:22)
「神への献身」は、神への「誠心誠意」の心と生活とも言えます。消極的に言うと、罪の中に生きない生涯です。積極的に言うと、「聖潔に至る実」を結ぶ生涯であり、行き着く先は、「永遠のいのち」です(22節)。私たちは神への感謝と満足で生涯を全うすることができるのです。
1、「律法の下にではなく、恵みの下にある」
「神への献身」を継続する秘訣は、私たちが「恵みの下」にあることを、再確認することです(15、16節)。その逆の「律法の下」にいるような生き方をしないことです。「決してそんなことはありません」(16節)と、「律法の下」にある生き方を断固否定しています。私たちクリスチャンも「律法主義」(義務的、形式的、仕方なく、他人を意識)で、信仰生活を送ってしまう危険があるのです。
「恵みの下」にあるので、キリストと共に死にキリストと共に生きることができるのです。過去、私たちは罪に支配され、罪に献身し、罪の奴隷でした。神の御前に恥ずかしいことを行い、死を恐れ、むなしく生きていました。神の義とは関係ない生き方です。(16、19−21節)。しかし、今では、私たちを支配する主人が神になったので、神に献身し、義の奴隷となり、神に従順な奴隷となりました。
2、「神に感謝します」
神が、罪の奴隷から、義の奴隷に変えてくださいました(17節)。自分には絶対にできないことを、神がして下さったのです。私たちは、ただ、神を信じただけです。神に感謝します。
私たちは「伝えられた教え」(福音)を聞いたのです。次に「規範」とは、鋳型に流し込まれ同じ型になることです。過去、私たちは罪と死の「アダムの型」に流し込まれていました。しかし、今では、「キリストの型」に流し込まれて、キリストと同じ型になったのです。
型に流し込まれると聞くと、窮屈で、自由がなくなるということでしょうか。過去、「義については自由にふるまって」(20節)、好き勝手に罪を犯し続ける生活をしてきました。また逆戻りするのでしょうか。そんなことはありません。
福音に「心から服従」して、その福音に生きることです。神とキリストに「誠心誠意」信じ従いたいという心が与えられたのです。「あなたは心を尽くし、いのちを尽くし、知性を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい。」「あなたの隣人を自分自身のように愛しなさい」(マタイ22:37、39)。本来の自分にはない心を、聖霊が与えて下さったのです。信じ従い続けて行くうちに、信仰が成長し、信仰生活が整えられていくのです。
3、「聖潔に至る実、永遠のいのち」
「聖潔」とは「きよさ」(口語訳)「聖なる者」(協会訳)のことで、神の所有となったことです。「むしろ、あなたがたを召された聖なる方に倣い、あなたがた自身、生活のすべてにおいて聖なる者となりなさい。『あなたがたは聖なる者でなければならない。わたしが聖だからである』と書いてあるからです。」(Iペテロ1:15−16)。 私たちの生涯の「行き着くところは、永遠のいのち」です(22節、5:21、6:23)。永遠のいのちは、今、与えられているのです。