「罪に対して死に、神に対して生きる」 ローマ 6:6-11
「同じように、あなたがたもキリスト・イエスにあって、自分は罪に対して死んだ者であり、神に対して生きている者だと、認めなさい。」(ローマ6:11)
信仰義認の恵みの中に生きているクリスチャンは、「罪に対して死んだ」(6:2)者になったのです。罪の誘惑に負けて、罪を犯すこともあるかもしれません。しかし、罪にとどまらない、罪のうちを生きないのです(6:1、2)。クリスチャンは、罪を犯すことがあっても、信仰義認の恵みを再確認し、真摯に罪を悔い改め、聖霊によって新しくされ、神に喜ばれるように生きようとします。
1、私たちの古い人がキリストと共に十字架につけられた(6節)
「古い人」(6節)とは、アダムの堕罪によって罪人となってしまった全人類です。キリストを信じる以前の、罪を犯し死を恐れていた自分のことでもあります。その罪人の自分が、キリストと共に十字架につけられて、キリストと共に死んだのです。それは、罪人である古い自分から、キリストにある新しい自分になるためです。「ですから、だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、全てが新しくなりました」(IIコリント5:17)
「罪のからだが滅ぼされて」(6節)とは、罪を犯し続けてきた自分に死ぬということで、神は罪人の私を「終了」してくださったのです。
罪は、心から始まり、「からだ」を用いて、罪の言動となります。その「からだ」における罪の言動も、神は滅ぼしてくださるのです。
「私たちがもはや罪の奴隷でなくなる」(6節)とは、罪に支配されず、罪に安住しない自分になったということです。
2、キリストが、ただ一度罪に対して死に、神に対して生きておられる
私たちクリスチャンが罪に対して死に、罪に対して勝利することは、自分の力ではできません。「死んだ者は、罪から解放されているのです」(7節)とは、罪に対して決別するためには、死しかないと断言しています。
「キリストが死なれたのは、ただ一度罪に対して死なれたのであり」(10節a)とは、キリストが十字架で、罪のために死んだ事実です。
そして、「キリストが生きておられるのは、神に対して生きておられるのだからです」(10節b)、「キリストは死者の中からよみがえって、もはや、死ぬことはありません。死はもはやキリストを支配しないのです」(9節a)は、キリストの事実です。キリストの復活、昇天、そして、キリストは生きておられ、神の右で、私たちのためにとりなしてくださっていると、繰り返し強調しています。
3、あなたがたも、罪に対して死んだ者、神に対して生きている者だと、認めなさい
「認めなさい」とは、数えなさい、計算しなさいという意味で、自分にあてはめることです。
キリストの死とよみがえりの事実を、「同じように」、あなたがた自身にあてはめてみなさいという意味です。
クリスチャンは、「罪に対して死に、キリストに対して生きる」者となったのです。自分の身分・立場が明確であるならば、クリスチャンとしての生き方も神によって定まってくるのです。