「律法から解かれ、御霊に生きる」 ローマ 7:1-6
「しかし今は、私たちは自分を縛っていた律法に死んだので、律法から解かれました。その結果、古い文字にはよらず、新しい御霊によって仕えているのです。」 (ローマ7:6)
ローマ7章の律法の解説は、ユダヤ人クリスチャンのためであって、日本人クリスチャンには、あまり関係がないと思ってしまいます。
言いたいことは、「私たちが神のために実を結ぶ」(4節b)には、律法を行うことでは、無理で、御霊によって神に仕えることによってできることです。信仰義認の恵みによってクリスチャンになった後でも「律法主義」に陥らないためです(ガラテヤ書の主題)。「律法主義」は、実を結ばないだけでなく、他人を裁き、自己絶望し、自ら信仰義認の恵みから離れてしまう危険があるからです。日本人クリスチャンにとっても、「やっかいな霊的病気」とも言えます。
1、神のために実を結ぶ信仰生活
私たちが、主イエス・キリストの十字架の復活によって救われたのは、律法を行なったからではなく、ただ、信じたからです。
「あなたがたがわたしを選んだのではなく、わたしがあなたがたを選び、あなたがたを任命しました。それは、あなたがたが行って実を結び、その実が残るようになるため、また、あなたがたがわたしの名によって父に求めるものをすべて、父が与えてくださるようになるためです」(ヨハネ15:16)。
信仰生活とは、「私たちが神のため実を結ぶ」(4節b)ためです。実を結ぶためには、救いと同じように、律法の行いではなく、ただ、信じて、御霊によって生きることによってできるのです。
2、律法から解かれ、御霊に生きる
「律法が人を支配するのは、その人が生きている期間だけです」(1節C)と、結婚相手が生きている間だけの支配で、相手の死後は支配されないのです(2−3節)。その例をクリスチャンとキリストとの関係に当てはめます(4節)。「キリストの体を通して」(4節)とは、キリストの十字架の贖いの死と復活のことです。「私たちは、キリストの死にあずかるバプテスマによって、キリストとともに葬られたのです。それは、ちょうどキリストが御父の栄光によって死者の中からよみがえられたように、私たちも、新しいいのちに歩むためです。」(6:4)
新しい夫「キリスト」の妻になったクリスチャンは、前の古い夫「律法」とは「律法に対して死んでいるのです」(4節)。
過去の「律法主義」の実は、「死のために実」(5節)「今では恥ずかしく思っている」実(6:21)です。「しかし今は、私たちは自分を縛っていた律法に死んだので、律法から解かれました」(6節)。「古い文字」(6節)とは、信仰のない形式主義、義務的行為です。
「律法」とは死に別れ、「キリストのもの」となっているのに、どうして、散々苦しんだ「律法主義」の生き方になるのかと警告しているのです。
3、実を結ぶ秘訣 ー 御霊によって神に仕える
実を結ぶ秘訣は、「新しい御霊によって仕えている」(7節)ことしかありません。
上記のヨハネ15:16にあるように、キリストを信じ、キリストにつながることです。
御霊によって神に仕えることとは、現実の生活の中で、神の御心、神に喜ばれることを祈り求めながら生きていくことです。喜んで、神を信頼し、神に仕える自分に、神が造り変えてくださったのです。失敗や挫折があっても、御霊によって神に仕え、信仰生活を全うすることです。