「永遠のいのちに導くキリスト」 ローマ 5:18-21
「それは、罪が死によって支配したように、恵みもまた義によって支配して、私たちの主イエス・キリストにより永遠のいのちに導くためなのです。」(ローマ5:21)
本日の主題は「永遠のいのち」です。 「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに世を愛された。それは御子を信じる者が、一人として滅びることなく、永遠のいのちを持つためである」(ヨハネ3:16)は、聖書で最も知られている聖句です。
1、アダムの不従順によって全人類が罪人に、イエス・キリストの従順によって永遠のいのちに導かれる
アダムの不従順:アダムの罪と死は、全人類に広がり、全人類は絶望の構図の中にいます。全人類は、皆、罪人、死の支配の中にいるのです。「こういうわけで、ちょうど一人の人によって罪が世界に入り、罪によって死が入り、こうして、すべての人が罪を犯したので、死がすべての人に広がったのと同様に−」(5:12)。アダムの「ちょうど一人の違反」(18節)、「ちょうど一人の人の不従順」によって、「すべての人が不義に定められ」(18節)、「多くの人が罪人とされた」と断定しています。
イエス・キリストの従順:イエス・キリストの救いによって、キリストを信じるすべての者は、恵みと義のいのち支配の中にいるのです。キリストを信じる者は、皆、義人と認められ、永遠のいのちが与えられているのです。「こういうわけで、ちょうど一人の違反によってすべての人が不義に定められたのと同様に、一人の義の行為によってすべての人が義と認められ、いのちを与えられます」(18節)。
キリストの「一人の義の行為」(18節)、「一人の従順」によって、信じる者「すべての者が義と認められ」、「多くの人が義人とされる」と断定しています。
2、罪の増し加わるところに、恵みも満ちあふれました
律法は、神が与えた「罪を測る物差し」のようなものです。神の御前に出て、律法で測られた時に、神のさばきに服し、罪の意識しかありません(ローマ3:19−20)。
しかし、律法を与えられた神は、恵みも与えてくださいました。律法によって測られた罪がどんなに大きくても、神の恵みはそれを上回り、満ちあふれているのです。人間的にはあり得ないことで、ただ、神の恵みを信じることしかありません(新聖歌376)。
3、私たちの主イエス・キリストにより永遠のいのちに導く
「信仰義認」は、主イエス・キリストによる「永遠のいのち」に直結し、どんなことがあっても、絶対に、永遠に切れないのです。
「永遠のいのち」とは、
永遠の神の選び:「すなわち神は、世界の基が据えられる前から、この方にあって私たちを選び、御前に聖なる、傷のない者にしようとされたのです」(エペソ1:4)
神とイエス・キリストを知る:「永遠のいのちとは、唯一のまことの神であるあなたと、あなたが遣わされたイエス・キリストを知ることです」。(ヨハネ17:3)
新しい天と新しい地:「見よ、神の幕屋が人々とともにある。神は人々とともに住み、人々は神の民となる。神ご自身が彼らの神として、ともにおられる」(黙示録21:3)。
私たちは、主イエス・キリストによる永遠のいのちを持っているのです。 ハレルヤ