2025.5.4メッセージ内容

「復活の主を愛し従う」 ヨハネ21:15-23

「あなたは私に従いなさい」(ヨハネ21:22)

1、復活の主イエスとペテロとの出会い

「これらのことが書かれたのは、イエスが神の子キリストであることを、あなたがたが信じるためであり、また信じて、イエスの名によっていのちを得るためである」(20:31)の言葉で、ヨハネの福音書は完結しています。その後に、三度も主イエスを否認したペテロの顛末が加筆されました(21章)。

ガリラヤ湖(ティベリア湖)で漁をしている弟子たちの中にペテロがいます(参照:マタイ28:7、10)。湖畔に立つ人に「舟の右側に網を打ちなさい」と言われ、その通りにしたところ、大漁になりました。その人が「主だ」とわかると、ペテロは上着を着て湖に飛び込み、岸に泳ぎ着きます。主イエスは、パンと取れた魚で朝食の用意をしてくださいました。

2、復活の主イエスを愛す

主イエスの方から「ヨハネの子シモン。あなたはこの人たち以上に、わたしを愛していますか」と静かに聞いています。主イエスは謝罪や反省を要求されたのではありません。

ペテロは「はい、主よ、わたしがあなたを愛していることは、あなたがご存知です」(15節)と答えました。自信を持って「愛しています」とは、もう言えません。また裏切るかもしれないもろい壊れやすい愛しかない、こんな私でも、主よ、わたしはあなたを愛していますと、答えました。主イエスは、何もかもすべてをご存知で、「愛していますか」と言われたのです(17節)。主イエスは、すでに祈ってくださっていたのです。「しかし、わたしはあなたのために、あなたの信仰がなくならないように祈りました。ですから、あなたは立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい」(ルカ22:32)。ペテロのように、私たちもそのままの自分で、主の愛の中に飛び込むことです。「私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、宥めのささげ物としての御子を遣わされました。ここに愛があるのです」。(Iヨハネ4:10)

3、復活の主イエスに従う

主イエスは、言い方に少し違いがありますが、「わたし羊を飼いなさい」と3回告げます。そして、「わたしに従いなさい」(19節)と命じられました。主への愛があるから従うことができるのです。従うことができなくなった時には、こんな私をどこまでも愛してくださる主の愛を再確認することです。愛してくださる主イエスを愛しお従いしようという思いが、聖霊によって与えられます。

主イエスは、主の教会の宣教と牧会をペテロに託しました。主の教会の働きをする動機は、「私を愛していますか」という主イエスからの問いに答えることです。主への愛がなければ、教会の働きは、生命を失い形骸化してしまいます。

「ペテロがどのような死に方で神の栄光を現すかを示すために」(19節)とは、主イエスがペテロの殉教の予告をされたのです。私たちも逆境、困難を経験します。何よりも、自分自身の弱さ、失敗、主を悲しませてしまうこと、自分の望まない事もあるでしょう。しかし、そこに、復活され、今も生きておられる主イエスが「神の栄光が現す」 のです。私たちは、復活の主イエスを愛し、お従いしていけば、それで良いのです。その時、人間業ではなく、主の栄光が現れるのです。

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