2025.4.20メッセージ内容

「復活の主に出会う」 ヨハネ20:1-18

「このイエスを、神はよみがえらせました。私たちはみな、そのことの証人です」。(使徒2:32)

1、死に打ちのめされている人

主イエスは十字架で苦しみ息を引き取り、埋葬されました。そして、三日目の朝になり、マリヤは朝早く墓に行きます。主イエスの遺体を丁寧に整え、主イエスのことを追憶するためです。

行ってみると、墓の石が取り除けられています。驚きヨハネとペテロに伝えます(2)。二人は走って墓に行き、主イエスの遺体がないことを確認します。外から盗まれた形跡がなく、主イエスの体が自ら動いたことを確認しました(7節)。しかし、まだ半信半疑です(8−9節)。

二人は墓から帰って行きましたが、マリヤは墓の外で泣いています(11節)。突然、二人の天使があらわれ、「女の方、なぜ泣いているのですか」と問いかけます。 

ルカ福音書の並行記事では、天使たちは「あなたがたは、どうして生きている方を死人の中に捜すのですか。ここにはおられません。よみがえられたのです。まだガリラヤにおられたころ、主がお話しになったことを思い出しなさい。人の子は必ず罪人たちの手に引き渡され、十字架につけられ、三日目によみがえると言われたでしょう」(ルカ24:5-8)と、明確に主イエスの復活を告げています。しかし、この時はまだ死人の中に主イエスを探し出そうとしています。人は、それだけ死に打ちのめされているのです。

2、復活の主に出会う

マリヤに、復活された主イエスがあらわれ問いかけています(13)。目の前に主イエスがおられるのに、墓の管理人と思っています。主イエスに罪を赦され、主イエスの愛し慕っているマリヤでも、十字架で死んで葬られた主イエスが死人の中から復活することは、まだ信じられなかったのでしょう。

しかし、主イエスが「マリヤ」と名前を呼ばれ、気がついたのです。主イエスの復活は、人間の理解、経験からは出てきません。「このイエスを、神はよみがえらせました」(使徒2:32)。死人をよみがえらせる神の御業を信じる信仰です。

マリヤは、復活された主イエスに出会い、「『私は主を見ました』と言い、主が自分に来られのことを話されたことを伝えた」のです(18)。

復活の主イエスに出会う場面は、主イエスご自身の方からの出会いです。

3、復活の主を信じ伝える

私たちは、主イエスの復活の現場に立ち会うことはできません。マリヤや弟子たちと同じように、私たちにも主イエスの方から出会ってくださっているのです。主イエスの復活は感情、観念、理論で信じるのではなく、主イエスの復活の証人たちの証言を聖書で確認して信じる信仰です。

主イエスの復活を信じる信仰は

⑴「死を越えて生かされる」

「イエスを死者の中からよみがえらせた方の御霊が、あなたがたのうちに住んでおられるなら、キリストを死者の中からよみがえらせた方は、あなたがたのうちに住んでおられるご自分の御霊によって、あなたがたの死ぬべきからだも生かしてくださいます」(ローマ8:11)

⑵「主の再臨の時、栄光の体に変えられる」

「しかし、今やキリストは、眠った者の初穂として死者の中からよみがえられました」(Iコリント人5:20)。

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