「幸福な家庭」 ルツ1:1-18
お母様が行かれるところに私も行き、住まわれるところに私も住みます。(16節)
ルツ記は、ユダヤ人ではない異邦人女性が主人公の物語で、士師の時代におこった実話だと推測されています。神の民の不従順による悲惨な戦いが描かれる士師記とは対照的に、荒野に湧き出る泉のようなさわやかさで心が癒やされます。物語は、ナオミというユダヤ人女性とその家族が、故郷ベツレヘムを離れて穀物のあるモアブの国に移住する所から始まります。
一、生きる苦しみを経験した家庭
ベツレヘム(パンの家という意味)という町に飢饉がおこりました。家族が生き延びるための苦渋の決断だったに違いありません。ところが移住して間もなく夫エリメレクが死に、モアブで妻を迎えた二人の息子も亡くなりました。普通に考えたら不幸な家庭の見本のようです。残されたナオミとまだ若い嫁たちは、生き延びるために多くの困難と戦わねばならなかったでしょう。
日々の糧に苦労することは、幸福の正反対だと思われます。主人や息子を早くに失うことも、災いと考えられるでしょう。ナオミもそう考え、自分は故郷に帰る決心をし、二人の嫁たちが別の人と結婚して新しい生活を始めるように促しました。至極当然と思える行動です。血のつながらない母親と嫁の関係なら、それが最善の解決のように思われます。
二、別れの苦しみを経験した家庭
しかし、たとえ短期間といえども一緒に生活した間柄です。このような形で別れることはどんなに悲しく思われたことでしょう。弟嫁のオルパは泣く泣くナオミの言う通り、実家に戻っていきました。ナオミもほっとしたかもしれません。ところが兄嫁のルツは違った道を選びました。母親と一緒にベツレヘムへ行くと言うのです。そこには重要な理由があったことを知ってください。
ルツは母親と共に生活しているうちに、母が常に祈っている神について学びました。母の敬虔な生き方にも感動したでしょう。そして、「あなたの神は私の神」と告白するようになったのです。母親と別れることよりも、母親の信じている神と別れてしまうことのほうが、もっと辛かったのかもしれません。年老いた母親を一人にするわけにはいかないと考えた可能性もあります。
三、再会の苦しみを経験した家庭
2人はベツレヘムに到着しました。ナオミの故郷ですから、本来はそこで昔馴染みの人々と再会できたことは嬉しいはずです。しかしナオミは、「私をナオミ(快い)と呼ばないで、マラ(苦しみ)と呼んでください。全能者が私を大きな苦しみにあわせたのですから」と、つぶやきます。確かにその気持ちはわかります。しかし、この苦しみがあったからこそ、喜びが待ち受けていました。
その後、この物語は思いがけない方向に進んで行きます。ルツを親思いの素晴らしい女性と見込んで、再婚する男性が現れたのです。しかもその結婚により生まれた子がダビデ王の祖父となるという驚くべき事実が、約100年後に明らかになります。さらに、その子孫としてイエス・キリストが誕生されるとは、この時には想像もできないことでした。
ナオミの家庭は不幸な家庭と思えるかもしれません。しかし、長い歴史の中で考えるなら、異邦人であるルツが神の選びの民に加えられるという神のご計画を実現するための重要な要素となりました。神の目から見た「幸福」に目が開かれねばなりません。