2025.2.2メッセージ内容

「本当の勇気とは」 士師記6:11-18

あなたはイスラエルをミディアン人の手から救う。わたしがあなたを遣わすのではないか。(14節)

イスラエルの民に与えられた「約束の地」は、本来、神の国をこの地上に実現するためのものでした。でも残念ながら、それは未だに実現していません。自由意思を与えられた人間が、それを用いて神と人を愛する生き方をしていないからです。そんな状況を変えるため、主は多くの人に勇気を与えられました。ギデオンもその一人です。

一、過去の歴史を受け入れる

当時、約束の地には異民族であるミディアン人が強い勢力をもっていました。収穫期になると、略奪隊がやってくるので、農民であったギデオンは石灰岩をくりぬいた穴の中で、略奪隊に見つからないように小麦の脱穀をしていました。なんともみじめな状況です。そこに主の使いがやってきて、「主があなたとともにおられる」と彼に告げました。彼は非常に驚いたことでしょう。

ギデオンは反論します。「主がともにおられるなら、出エジプトのような神のみわざがなされて当然ではないですか」と。彼は、過去に神がイスラエルのためになされた出来事をちゃんと知っていたのです。現在でも、聖書を読めば、神が素晴らしいことをなされた歴史を知ることができます。どんな困難な状況の中でも、神が過去にみわざを現された事実を受け入れましょう。

二、自分の無力を受け入れる

しかし、ギデオン自身は略奪隊と戦う勇気はありませんでした。自分の氏族には有力者が一人もいなかったことや、年齢の若さを挙げて、ミディアン人と戦う力のないことをみ使いに伝えます。彼の言うことには偽りはなかったことでしょうし、自分たちの国に力がないことも誰もが認めていたことだと思えます。どんな国にもそのような時期がありました。

聖書は、人間の弱さを何度も何度も繰り返して述べています。士師記の中には12人の「勇士」が登場するのですが、みな、自分の弱さを認めているのです。私たちも同じでしょう。「自分には力があって敵をやっつけることができる」ということのほうが問題です。本当の勇気とは、自分の弱さを受け入れるところから始まります。それがない人を、主は決して用いられません。

三、主の派遣を受け入れる

ギデオンのことばを聞いたみ使いは、直ちに彼に宣言します。「わたしはあなたとともにいる」。この約束は、旧約聖書にも新約聖書にも、何度も出てくる約束です。すでに12節でこの約束がなされていますが、ギデオンはそれを信じることができませんでした。彼の目が、自国の悲惨な状況しか見ていなかったからです。「主は私たちを捨てられた」と思っていたのです。

しかし、主はギデオンに「わたしがあなたを遣わすのではないか」と力強く語られました。「ともにいる」だけでなく、「遣わす」と、より前向きな表現がとられています。全能の主の力が、ギデオンを後押しなさるのです。そこまで言われても、まだ決心がつかないギデオンは、さらに幾つかの目に見える「しるし」を求めました。でもそれらはみ実現したのです。

「ギデオン協会」という宣教団体があります。聖書を、病院や学校やホテル、また自ら願い出る人々に無料で配布しているのです。この団体は、ギデオンの働きを継続したいと願う人々によって運営されています。たとえ自分がどんなに弱くても、主イエスがともにいて、私たちを遣わしてくださることを確信しようではありませんか。

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