2025.1.19メッセージ内容

「幼子に対して」 マルコ10:13-16

子どもたちを、わたしのところに来させなさい。神の国はこのような者たちのものです。(14節)

イエス・キリストは「神の国」がどういうものかを肉眼の目で見えるように示されました。病気の癒しや悪霊の追放、さらに様々な奇跡を通して、神は人を愛しておられることと、人は互いに愛し合うことこそ、その本質だと教えられたのです。幼子に対してどう対応するかも、「神の国」がどういうものかを示唆しています。

一、親の考え方

主イエスがすばらしいお方であることを知って、親たちはその「ご利益」を得ようと願い、子どもたちに触れていただこうとしました。親の身勝手さを感じさせられます。しかし、子どもの幸せを願う思いは決して否定されるべきではありません。聖書は、信仰を子どもに継承することの重要性をあちこちで述べています。申命記や箴言を読むならそれはすぐにわかります。

現代、主イエスに触れていただくことはできません。しかし主のことばである聖書に触れさせることは可能です。子どもたちが幼いころから聖書に親しみ、何が主のみ旨であるかを知ることは、将来に大きな影響を与えるのです。また、子どものために祈ることも重要です。子どもの登校時に祈ることや、病気とか試験のときに祈ることは親の大きな使命であり特権です。

二、弟子の考え方

ところがそれを見た弟子たちは、「彼らを叱り」ました。子どもたちだけでなく、親も叱ったのでしょう。忙しい主イエスの周りを、騒がしい子どもたちが取り囲むことは、その働きの邪魔になると思ったからかもしれません。多くの病人たちが主のもとに押し寄せてきていた可能性もあります。弟子たちは、子どもたちよりも大人が大切だという考え方をもっていました。

確かに幼子は邪魔になるように思えることもあります。しかし、そのような時期を経て、子どもは大人になるのです。時に、大人は子どもから学ぶこともあります。CS合同礼拝は、子どもも大人も同じように主のみことばを聞く機会であることを知ってください。教会では、どのような年齢の人も同じように礼拝できるのです。子どもたちを受け入れる大人になりましょう。

三、主イエスの考え方

そのような弟子の態度を見て、主は「憤って弟子たちに言われ」ました。滅多にない厳しい表現です。さらに「神の国はこのような者たちのもの」とさえ言われます。子どもたちはみな、未熟ですがみことばによって成長し、神の国を受け入れる者となっていくのです。自分の罪を認め、それを悔い改めて成長し、主イエスを心の内に受け入れることは、大人でもだれでも必要です。

パウロは「悪事においては幼子でありなさい。けれども、考え方においては大人になりなさい」と記しています(Ⅰコリント14:20)。幼子のような素直さは必要ですが、さらに成長することを求めていきましょう。主イエスは、このような可能性をもっている幼子を抱き、手を置いて祝福されました。祝福された子どもたちは、生涯、このことを忘れることはなかったでしょう。

私たちの教会に幼子がいることは素晴しいことです。共に礼拝できることも素晴しいことです。この機会を生かしましょう。そして、彼らと共に成長していきましょう。これから10年後、20年後の教会を思い描き、彼らが教会の中心となって進んで行くように備えましょう。それが大人である私たちの責任です。

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