「幸いな女性たち」 ルカ1:39-56
主によって語られたことは必ず実現すると信じた人は、幸いです。(45節)
「あなたは身ごもって男の子を産む」と御使いから告げられたマリアは、それを受け入れたものの不安を抱いていました。そこで、すでに奇跡的な妊娠をしていた親類のエリサベツを訪問したのです。この二人の会話には、現在の私たちが学ぶべき三つの大切な真理があります。本当の幸せとは何かが教えられるのです。
一、他人には祝福を
エリサベツの胎内には、後に重要な働きをするバプテスマのヨハネが宿っていました。マリアがあいさつしたとき、この胎児が躍ったというのです。これを感じたエリサベツは喜びに満たされてマリアを祝福しました。二人の女性が手を取り合って喜んでいる姿は感動的です。一人は長い間の願いが叶えられたから、もう一人は主のご計画の実現のために選ばれたからです。
クリスマスは、お互いを祝福する時であることを忘れてはなりません。罪ある人間を救うために神が人となられたという事実は、神がどんな人をも愛しておられることの証拠です。私たちの周囲には、困難の中にある人たちもおられるでしょう。そんな人にこそ、声をかけましょう。どんな時であっても、神の愛は注がれていることを。そして希望を与えておられることを。
二、自分には謙遜を
エリサベツの祝福のことばを聞いたマリアは、後に「マグニフィカート」と言われる賛美を主に捧げました。その原型は、子宝に恵まれなかったハンナが男の子(サムエル)を出産したときに歌ったものです(Ⅰサムエル2章)。両者に共通することは、神は高ぶる者を低くし、謙遜な者を引き上げなさると歌う点です。マリアは自分のことを「この卑しいはしため」と言っています。
クリスマスは、全能の神、永遠の神が、罪ある人間、有限な人間と等しくなられた日です。神が人となられた時です。栄光あるお方が家畜小屋に誕生なさったことは、まさに謙遜の極みと言うことができるでしょう。神がこれほどに身を低くされたのに、私たちが高慢であってはなりません。自分を貧しい者、罪深い者と自覚することが、本当の幸せを得る秘訣です。
三、神には賛美を
マリアの歌は、後に幾つかのメロディーで歌われるようになりました。その一つが新聖歌67番です。「力ある方が、私に大きなことをなしてくださった」という告白こそ、賛美の基本だと言えるでしょう。「低き者を高めたもう御恵み」と歌うこの賛美歌は、多くの人々の愛唱歌になっています。49節から55節まで、主語はすべて主であることに注意しましょう。
クリスマスでは多くの賛美歌が歌われます。それらの大半は、神の御子がこの地上に生まれたことを喜ぶ歌で、神がなされたこの奇跡が人類を救うからです。多くの人はその真理を実感せずに歌っていますが、私たちはそうであってはなりません。主がなして下さったこの奇跡的な出来事、「神が人となられた」ことを、高らかに歌いましょう。賛美は私たちの力となります。
他の人を祝福し、自分は謙遜になって主を賛美するとき、喜びはさらに増し加わり、幸いな者との自覚が深まります。それは決してクリスマスに限られるわけではありませんが、特にこの時期にはその思いが強くなるのです。異教国日本でも祝われるこのクリスマスの時期、本当の幸福を伝える者となろうではありませんか。