2024.12.1メッセージ内容

「クリスマスの備え」 ルカ1:5-25

不従順な者たちを義人の思いに立ち返らせて、主のために、整えられた民を用意します。(17節)

アドベントとは、救い主が来臨されることを待ち望むことを意味します。旧約時代にもこのような望みを抱いている人がいました。後にバプテスマのヨハネの両親となるザカリヤとエリサベツ夫妻もそんな人たちでした。彼らの言動を通して、救い主の誕生(クリスマス)を待ち望む者の姿勢を学んでみましょう。

一、ザカリヤの姿勢

ザカリヤは祭司でしたが、特別に望みが強かったわけではありません。神殿で香をたく奉仕もくじで決まったことでした。それゆえ主の使いが彼に現れたとき、彼は恐怖に襲われたのです。御使いが「男の子が生まれる」と知らせても、すでに高齢だった彼には「あり得ない話」としか受け取られませんでした。現代の普通の人にとっても、クリスマスは単なる季節行事です。

クリスマスは、今や世界中で祝われる日となりました。これは喜ばしいことでもありますが、その正しい意味を知らせることは、私たちクリスチャンの責任と言えるでしょう。「キリスト教の教祖の誕生日」と思っている人に、処女マリアから生まれたことを伝えても、すぐに受け入れられることは難しいと思われます。だからこそ医者ルカはザカリヤの物語をここに置いたのです。

二、エリサベツの姿勢

妻エリサベツはザカリヤとは違っていました。彼女は夫よりもっと真剣に子どもが生まれることを望んでいたからでしょう。筆談で、夫からこの話しを聞いたエリサベツは、長い間祈り求めていたことを主は叶えてくださるという確信をもったと思われます。彼女は生まれる子が「不従順な者たちを立ち返らせる」という大切な任務をもつことも知って、夫を励ましました。

子どもは主から預けられた者です。その子が自分に与えられた使命は何かを見つけ、神と人に仕える生涯を歩む決心をするように育てる責任が親にはあります。「御使いが夫に現れたのは、この責任を自覚させるためだ」とエリサベツは受け取りました。現代でも、この信仰をもって子育てをしましょう。子が主の働きのために用いられることは、親にとって何にも勝る喜びです。

三、マリアの姿勢

マリアにも御使いは現れました。詳しくは来週学びますが、大切なのはマリアにおこった奇跡はエリサベツのそれよりもはるかに大きなことです。マリアが処女で妊娠するという事態を受け入れられたのは、すでにエリサベツ妊娠の知らせを聞いていたからに他なりません。神の子が人としてこの地上に生まれることは、信仰深いマリアでも容易には受け入れられないことでした。

処女降誕を明確に書き記したのは、医者ルカであることは重要な事実です。たとえ高齢であっても出産はできます。しかし処女から生まれるとするなら、それは人間ができることではなく、神のみわざと言わざるをえません。だから、キリストの誕生は有名人のそれとは全く違います。神が人となる奇跡なくして、罪人が神の子とされる道はありえないのです。

クリスマスの備えとは、再び繰り返されることのない歴史上の事実を受け入れ、それが私たちの救いのためだとの喜びに満たされることです。ザカリヤもエリサベツも、主イエス誕生が実現するために備えられた人々でした。私たちも、主イエスが多くの方々の心に誕生なさるために用いられる者となろうではありませんか。

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