「救いの計画」 ルカ9:28-36
すると雲の中から言う声がした。「これはわたしの選んだ子。彼の言うことを聞け。」(35節)
ペテロが主イエスを神の子であると信仰告白してから8日ほどした時、主は彼とヨハネとヤコブを連れて山に登られました。神が主イエスによってなさろうとしていた救いの計画を彼らに示すためでした。それはどのようなものなのかをこの箇所から学んでみましょう。
一、十字架による救い
ペテロは主イエスが神の子であることは理解していたのですが、神の子が十字架につけられることが神の計画であるということは全く理解していませんでした。マタイ16章には、主イエスをいさめようとしたペテロの姿が記されています。だからこそ、主は彼らを伴って山に登られたのです。そして「エルサレムで遂げようとしておられる最期」について、話されました。
その直前、祈っておられる主の「御顔の様子が変わり、その衣は白く光り輝」きました。これは、主イエスが神の子である証拠です。本来、主はそういうお方なのです。でも、そのままでは罪ある人間に近づくことはできません。だからこそ主は人となり、弟子たちと共に過ごし、そして罪人の身代わりとなって十字架にかかられたのです。これが人を救うための神の計画でした。
二、旧約に基づく救い
主イエスと話していたのは、律法を代表するモーセと、預言者を代表するエリヤでした。彼らは二人とも、旧約時代に神の栄光を垣間見たことは重要です(出33章、Ⅰ列王19章)。また彼らの死の様は普通の人とは違っていました。彼らも、主イエスが遂げようとされていた救いの計画を聞いていたのです。律法が求め、預言者が告げていた罪人の救いは、これ以外にありません。
話し終えて、この二人がイエスと別れようとしたとき、ペテロは「幕屋を三つ造りましょう」と叫びました。この状況がいつまでも続いてほしいと願ったからでしょう。しかし、雲がわき起こって彼らを隠しました。彼らだけでなく、罪ある人間が変えられて神の御国で過ごす時が実現するまでには、また時間が必要だったからです。黙示録の末尾が現実のものになるためには、何よりもまず、主イエスの十字架と復活が不可欠です。
三、神の子による救い
雲は、出エジプトの時代から、神の臨在を象徴しています。そして雲の中から、「これはわたしの選んだ子、彼の言うことを聞け」との声が聞こえました。主イエスの洗礼の時にもあった神の声にほかなりません(3:22)。主イエスが神の子であることを、神ご自身が証明されたのです。十字架の道は神のご計画であり、それを成し遂げるために、御子イエスは人となられました。
この声があった後、もはやモーセもエリヤも存在せず、主イエスだけでした。どんな偉大な人であってもできないことを実現するため、神の子がこの地上に来られたのです。旧約時代に神がなされたことは、神の子が来られるための準備でした。律法も預言者も、それだけで罪人の救いは成し遂げられません。神は、この重要な事実を弟子たちに示そうとされたのです。
罪人が罪から救われ、神の望まれる生き方をするために神がご計画されたのは、神の子が十字架で殺され、神の裁きを受けるという、人間の知性では思いもつかないことでした。これを3人の弟子たちは事前に知らされたのです。しかし、彼らはその意義を悟りませんでした。聖書のこの記事を読んだ私たちはどうでしょうか。