2024.9.29メッセージ内容

「聖書的な教会」 エペソ4:11-16

からだ全体は、あらゆる節々を支えとして…愛のうちに建てられることになります。(16節)

「教会」と言うと、目に見える建物のことを指すように思われていますが、聖書的には「キリストのからだ」と言うほうが正確です。一つ一つの教会は大切です。でもそれだけではありません。今回のように他の教会と共に礼拝し、お互いが繋がっていることを体験するなら、私たちの信仰生活はさらに豊かになるのです。

一、私の教会

だれにも、現在属している教会があります。そうなるには紆余曲折があったことでしょう。その近くに住んでいたことも一つの理由でしょうが、遠くの教会に行く人々もいます。しかし、どんな人にも神の導きがあったことを忘れてはなりません。「私」に主が備えて下さった教会なのです。

教会の基盤は、一人一人が主イエスと深いつながりをもつことです。罪が赦され、神の子とされ、主がいつも共にいてくださるという信頼関係をもつなら、「私」のうちに安らぎが与えられます。目に見える教会があるのは、神が「私」を愛しておられることを知るために他なりません。

二、あなたの教会

「私」が主イエスと繋がりをもつのと同じように、同じ教会に属する「あなた」もキリストと繋がっています。複数の人々が集っているのが教会です。自分と違った環境にいた人々、違った考えをもつ人々がいることを認める必要があります。私の平安だけでなく、「あなた」の安らぎも大切です。

教会の中には、自分と主イエスの関係だけでなく、同じ主を信頼している「あなた」との関係もあることを認めましょう。その人のためにも主は十字架にかかり、神の子となさいました。その人に対する主の愛を受けとめるなら、その人を愛するのが当然でしょう。簡単ではありませんが。

三、私たちの教会

そこで用いられるのがからだの譬えです。からだには様々の違った部位があります。目・耳・鼻・口など、みな違った働きをするのですが全部が必要です(Ⅰコリント12章)。同様に教会には様々な性格をもつ人々がいます。指導者にも、使徒・預言者・伝道者・牧師・教師と、違った賜物をもつ人々がいます。全体の益となるためです。

「私」と「あなた」は、違っていても、からだの重要な一部分です。私たちはだれも大切なので、互いに助けあわねばなりません。その結果として、教会は「節々を支えとして組み合わされ」「愛のうちに建てられ」ていきます。自分の教会だけでなく、教区の複数の教会も同じからだです。

四、神の教会

教会が「キリストのからだ」と言われているのは、一つの生命体ということです。一人の牧師、一つの教団の所有物ではなく、今も生きておられるイエス・キリストのからだです。主の臨在によって保たれている、「神がご自分の血をもって買い取られた神の教会」(使徒20:28)なのです。

だから私たちは「愛をもって真理を語り、あらゆる点において、かしらであるキリストに向かって成長」しましょう。どんなに弱くても、欠けだらけの者であっても、これから成長すれば良いのです。個人だけでなく教会もそうです。各教会に問題があっても、助け合うことができます。

「私の教会」に導かれたことを感謝し、「あなたの教会」でもあることを認め、「私たちの教会」と自覚して、「神の教会」となるために成長していきましょう。ご自身のからだだからこそ、キリストは今も教会の内に働いておられるのです。

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