2024.9.15メッセージ内容

「十戒の意義」 出エジプト20:1-17

あなたには、わたし以外に、ほかの神があってはならない。(3節)

約束の地を目指して旅するイスラエルの民に、主なる神は十戒を与えられました。十戒は単なる「戒め」ではありません。それは、民が神さまと親しい交わりをするために必要な3つのことを教えるものでした。彼らが約束の地に無事に到着するための、またその地で平安に過ごすための、「道しるべ」というのがふさわしいでしょう。

一、神の義を示すこと

冒頭の節は、イスラエルの民をエジプトから救い出してくださったお方こそ、唯一の神であることを宣言しています。そしてその後、前半の4つの戒めで、このお方との交わりを密接に保つようにと命じるのです。さらに後半6つの戒めは、このお方が義に基づいて生きる人を望まれていることを示しています。お互いの生き方を尊重し、争わないで生活することです。

イスラエルの民はエジプトで自分たちの人権を無視された生活をしていました。権力者が自分を神のように考えていたからです。人間が仕えるべきなのは世界を創造された方だけであり、人間同士は互いの生き方を認め合い助けあうことこそが十戒の基本原理なのです。現代の私たちも、これが義なる神が望んでおられることであると知らねばなりません。

二、人の罪を示すこと

しかし、この十戒を完全に守れる人はどこにもいません。特に最後の「欲してはならない」という戒めは、行動ではなく動機が問われています。パリサイ人だったパウロでさえも、この戒めと真剣に向き合ったときに自分は罪人だと認めざるをえませんでした(ロマ7章)。十戒は、自分が罪人であることを認めさせます。そのままでは約束の地に入ることはできないのです。

今でも、十戒は明確に人の罪を示しています。十戒だけでなく聖書全体が、義なる神から見ると私たちは罪ある者であることを明確に教えているのです。その事実を示すことこそ、十戒の重要な意義です。ではどうしたら良いのでしょうか。これが、この後でモーセに示される救いの道です。この道に私たちを進ませるために十戒は定められたことを知ってください。

三、救いの道を示すため

十戒が定められた後、神は幕屋を造るようにモーセに命じられました。十戒を守れない人々に救いの道があることを示すためです。罪を犯した人は、必ずその罪を身代わりに負ってくれる動物を犠牲として捧げるべきことが命じられているます。その規定は十戒よりもはるかに詳しく記されています。後のレビ記は全体がこの規定についての説明と言うことができます。

このことは、新約聖書に記されているイエス・キリストの働きを指し示すものでした。動物ではなく、神の子であるお方が、全ての人間の罪の身代わりとなって十字架で死なれたことによって、救いの道が現されたのです。ですから十戒は、「私たちをキリストに導く養育係」なのです(ガラテヤ3:24)。十戒が罪を示すのは、その罪が赦される道に私たちを導くために他なりません。

このように理解すると、十戒は神の愛の表現ということができます。子どもを愛するがゆえにこそ厳しく躾ける親のようなものです。神の愛を知るなら、私たちも神を愛せます。また、他の人々も愛せるようになります。自分の罪が赦されたことを感謝すればするほど、他の人の罪をも赦せるようになれるのです。

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