「恵みの約束」 創世記28:10-22
まことに主はこの場所におられる。それなのに、私はそれを知らなかった。(16節)
祖父アブラハムや父イサクと比べると、ヤコブは信仰的・人格的に問題がある人物でした。特に兄エサウとの確執は大きく、エサウはヤコブを殺そうとさえ考えていました(27:40)。そこで母はヤコブを約千キロ北にある実家に送り出しますが、その途上で主は恵みの約束を示されます。
一、約束を示す
ヤコブは父を欺いて長子の権利を得ました。でも、そのままで済むことではなく、住み慣れた家を離れることになりました。旅を始めて数日後のことでしょう。野宿していた彼は、夢の中で御使いが上り下りているはしごを見たのです。それは、神の声を聞いたことのない彼に対する神の配慮でした。神が共におられることに全く気づいていなかったヤコブに対する神の恵みです。
彼は、祖父や父が祈っていることを見聞きしていたでしょうが、自分が真剣に神に祈ることはなかったと思われます。しかし、親元から離れたときに初めて、人間を超えた存在があることに目が開かれました。御使いは神の思いを天から地に伝え、人の願いを天に携え上げられることを知った彼は、非常に驚いたのです。この夢は、彼が神の約束を知るためにふさわしい方法でした。
二、約束を確認する
御使いだけではありません。主ご自身が彼のそばに立ち、アブラハムとイサクにすでに与えておられた約束を再度確認されました。彼らの子孫が増え広がり、地のすべての部族が祝福されるとの約束です。さらに主は、ヤコブを守り、この地に連れ帰ることも約束されます。そして自分勝手なヤコブに対しても「決してあなたを捨てない」と宣言されたのです。
神は、ヤコブが立派な人物だから約束を果たすと言われたのではありません。ただ、神の憐みのゆえでした。母リベカに、「兄は弟に仕える」という主の恵みの約束があったからなのです。この事実は聖書の示す根本的原則です。特にクリスチャンホームに育った者たちは決してこれを忘れてはなりません。私たちの生涯は、ただ神の大きな恵みに導かれていることを。
三、約束に応答する
眠りから覚めて後、ヤコブは主が自分とともにおられることをはっきり自覚しました。そこで、枕にしていた石を立てて柱とし、その場所をベテル(神の家という意味)と呼ぶことにしたのです。実はここは、約150年前にアブラハムが最初に祭壇を築いた所でした(12:8)。ヤコブは意識していなかったでしょうが、神はご計画をもって彼をこの地に導かれたことを知りましょう。
石の柱に油を注ぐとは、神がこの柱を聖別してくださるようにとの祈りの象徴です。さらに、主を自分の神として崇めて献げ物をするという請願を立てました。現代にあてはめると、主が共にいてくださるとの約束を信頼し、常に主に感謝して仕える日々をおくることを意味します。神から与えられた恵みだからこそ、それを神と人のために用いることが最善の応答なのです。
神の恵みとは、受ける値打ちがないと自覚する者にはより大きな感謝となります。自分の利己的な行動で一人旅を余儀なくされていたヤコブにとって、「あなたを捨てない」という神の約束は大きな喜びだったに違いありません。この後も、彼の欲深さは何度も出てきますが、そのたびに主は彼を訓練し、イスラエル民族の祖先として育てられたのです。