「継承された信仰」 創世記25:19-34
イサクは自分の妻のために主に祈った。主は彼の祈りを聞き入れ、妻リベカは身ごもった。(21節)
昨年9月に、アブラハムの信仰は息子イサクに受け継がれたことを学びました。その続きをこれから6週間ほど学びます。信仰を次の世代に継承することは簡単ではありません。祈りの中でやっと与えられた双子の息子、エサウとヤコブに、自分が受け継いだ信仰を伝えることには、次のような3つの意義がありました。
一、試練を受け継ぐ
イサクはリベカと結婚しましたが、20年間、子どもが生まれませんでした。彼は相当悩んだことでしょう。しかしこれは、父アブラハムも経験した試練でした。神さまを信じたら、良いことばかりおこるというわけではありません。かえって様々な苦労が生まれることもあります。しかし試練はかえって私たちを強くします。主は見捨てられないことを試練を通して学ぶのです。
親なら、子どもには苦労をかけたくないと思うでしょう。しかしそれはかえって「過保護」になり、結果として子どもを自立させません。子どもたちもそれなりに苦労しています。試練の時こそ、子どもたちに寄り添い、その試練を一緒に受けとりましょう。また自分の苦労話をして、それでも神さまは自分を守ってくださったことを証ししましょう。それこそが、試練を受け継ぐことです。
二、祈りを受け継ぐ
双子が生まれたのは、イサクが60歳の時でした。その時、父アブラハムはまだ生きていました(25:7参照)。イサクは、父が100歳になったときに自分が生まれたことを聞いていたに違いありません。また、幼いころから父が祈っている姿を見ていたことでしょう。だからイサクも、子どもができない「自分の妻のために主に祈った」のです。イサクは祈ることを親から学んでいました。
クリスチャンでなくても、子どもの苦労を共に分かち合うことはできます。しかし、共に祈ることはクリスチャンにしかできません。祈った結果、問題が解決したなら、一緒に神さまに感謝しましょう。もし解決しないなら、神さまは別の道を教えようとされているのだと話教えましょう。今は叶えられていないと思えても、長い期間の後に実現していることに気づくことがあります。
三、祝福を受け継ぐ
祈りの結果として双子が生まれましたが、二人は全く違った性格でした。また、彼らに対する良心の態度も違っていました。エサウの野性的な姿勢は父親好みでしたし、ヤコブの優しい性格は母親好みでした。リベカは妊娠時に、「兄が弟に仕える」という主の言葉を聞いていたので、特に弟を愛したのかもしれません。しかし問題は、兄エサウが「長子の権利を侮った」ことでした。
長子の権利とは、アブラハムに与えられた祝福を受け継ぐことでした。ヤコブは両親からこのことを聞いていたに違いありません。そして、自分は弟であってもそれを得ることを心から願っていたのです。煮物でもって長子の権利を買い取ったヤコブは狡猾だったと言えます。しかしそれほどまでして、神の祝福を受けたいと願っていたところに信仰の一端を見ることができます。
ローマ書9:10-13に書かれているように、自己中心のヤコブが祝福を受けたのは、ただ、神の恵みによるものであることを知りましょう。必要なのは、神の祝福を求める姿勢です。子どもたちに継承すべき信仰とは、祈りによって神との交わりを持ち続けることです。これを子に伝えることこそ、親の責任と言えるでしょう。