2024.4.7メッセージ内容

「みことばの種」 マタイ13:1-15

良い地に落ちて実を結び、あるものは百倍、あるものは六十倍、あるものは三十倍になった。(8節)

主イエスが話された譬話は、注意して聞かないと意味が理解できません。この種まきの譬えも、種は神の国のことばを意味し、種の落ちた4つの土地は人の心を意味していると知ることが大切です。みな同じ種ですが、人によってその受け入れ方は違うのです。私たちの心は、この4つの土地のどれに似ているでしょうか。

一、道端に落ちた種  Not In

種が落ちた場所が固い道だとしたら、その種は根を伸ばすことができません。成長する前に鳥が来て食べてしまいます。18節以降の説明によると、鳥とは「悪い者」で、これはサタンを示しているのでしょう。今も、サタンは語られた神のことばが人の心に残らないように働いています。

礼拝メッセージを聞いている時も注意せねばなりません。家に帰って「今日は何の話だったろうか」と自問してみましょう。さっぱり思い出さなかったら、年齢のせいか、サタンのせいです。メッセージ中に、昼食の準備のこと・買物のこと・明日の予定などに心を奪われてはなりません。

二、岩地に落ちた種    Not Down

たとえ柔らかい土であっても、その下が岩地であるならどうでしょうか。根が少しばかり伸びても岩に邪魔され、水や養分を取り込めません。やがて太陽の熱によって根がだめになってしまいます。神のことばを喜んで聞いても、成長できない人がいることはよくあることでしょう。

教会にしばらく来る人は結構おられます。しかし長続きしないのです。だれかから反対されたら心がしおれ、成長が止まってしまいます。試練にあう時などに、「神さまは助けてくれない」と早急に思ってしまうこともあります。本当はその試練を通して強くなれるのですが。

三、茨の間に落ちた種     Not Up

茨とは、「この世の思い煩いと富の誘惑」であることが後で説明されています。自分の内側から色々な欲が出てくるのです。ある程度まで成長したのに、そのようなものによって、みことばに従えなくなるのは何と残念なことでしょうか。特に、富の誘惑には注意が必要です。

現代社会はお金によって生き方が左右される場合があります。お金があったら幸福、なかったら不幸と思われているのです。この地上の生活だけを考えたらそうかもしれません。しかし、人間はいずれ死を迎えます。その先にお金をもっていけないことを忘れないようにしましょう。

四、良い地に落ちた種     In, Down, Up

良い地に落ちた種は、鳥・岩地・茨から守られて根を伸ばし、少しずつ成長していきます。土地の養分や太陽・雨などによって何十倍という実を結ぶことができるのです。その土地の状況によっては、百倍や千倍になることもあるでしょう。しかし、その違いは重要ではありません。

教会は「神の畑」に譬えられることがあります。種を蒔く人もおれば、水を注ぐ人もいます。しかし大切なのは「成長させてくださる神」です(Ⅰコリント3:7)。牧師だけでなく、信徒同士が恵みを分かちあうことも忘れてはなりません。互いに祈り合うことがその第一歩です。

蒔かれるのは同じ種ですが、その受け取り方で大きな違いが生じてきます。どんな困難があっても、心の中に主イエスの愛に対する感謝があるなら、みことばを素直に受けとめることができます。そして、受けた恵みを互いに分かち合うとき、教会全体が成長していくのです。

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