「良い香りを放つ」 ヨハネ12:1-11
マリアは、わたしの葬りの日のために、それを取っておいたのです。(7節)
旧約聖書には、王と祭司と預言者に香油が注がれる例が何度も記されています。主イエスは、これら3つの職務をすべて果たされた方です。マリアはこのことを理解していたとは思われませんが、主の働きが完成する直前に香油を注いだのでした。ヨハネがこの出来事を書いた理由は、次の3つの点にまとめられるでしょう。
一、マリアの献身の表現だった
マリアは、ラザロが生き返ったことを心の底から喜んでいたのでしょう。その感謝の表れがこの香油注ぎでした。その価値は、当時の労働者が一日にもらえる給料(1デナリ)の300日分でした。マリアは将来のためにそれを備えていたのかもしれません。しかし彼女は、主に対する感謝と愛を表すため、それを主の足に塗ったのです。普通なら香油は頭に塗るべきものですが。
この出来事は4つの福音書すべてに記されています。ルカだけは、香油を注いだのは「罪深い女」と述べています(7:37)。マリアも自分の罪深さを自覚しており、赦された感謝をもっていたに違いありません。罪人の自分を愛してくださっただけでなく、弟を生き返らせてくださった主に対して、自分のできる最大限の感謝を示したかったのです。まさに主に対する献身の表現でした。
二、ユダの裏切りの原因となった
ところがこれを目撃していた弟子のユダは、「この香油を売って貧しい人々に施すべきだった」と文句を言いました。弟子たちグループの会計係だったからそう言ったのではなく、彼が盗人だったからだと、聖書は辛辣に指摘します。マリアと正反対の思いがユダの心に中にありました。貧しい人々に対する配慮は確かに必要でしょう。しかし、もっと大切なことがあるのです。
現在でも、教会の運営のためにはお金が必要ですし、社会の困窮している人々への配慮も忘れてはなりません。でも、主イエスに対する愛と感謝はそれ以上の価値があります。ユダはそれが理解できず、ただユダヤの国がローマ帝国から独立して、自分たちが自由に生きる社会が実現することを望んでいました。彼は主のことばを聞いて、失望したと思われます。その結果、数日後、主を裏切ることになるのです。
三、主イエスの使命が明確となった
主は、「マリアは、わたしの葬りの日のために、それを取っておいた」と言われました。ご自分が十字架にかけられることを明確に知っておられたのです。自分に香油が注がれたのは、自分のいのちを犠牲にするという貴い使命を果たすためであることを、弟子たちに宣言されました。主の地上での働きは完成に近づき、弟子たちから離れていく時は間近に迫っていたのです。
王も祭司も預言者も、その使命につく前に香油が注がれています。主の最大の使命は十字架で果たされるからこそ、この時期に香油が注がれたのです。「油を注がれた者」という意味のヘブル語が「メシア」であり、ギリシャ語が「キリスト」であることを知ってください。そして、注がれた香油の芳しいかおりは、その後の裁判の席で、十字架の上で、周囲の人々に届いたのです。
マリアは、主イエスの使命を全部理解していたから香油を注いだのではありません。主を愛していたからです。結果として、他のだれもできないことをしました。私たち無知な者も、聖霊という香油を注がれるなら、苦難の時にも周囲に良き香りを放つ者となることができます。