2024.2.18メッセージ内容

「神の愛が臨むとき」 ヨハネの手紙第一3:1-3

私たちが神の子どもと呼ばれるために、御父がどんなにすばらしい愛を与えて下さったか。(1節)

ヨハネ第一の手紙前半のテーマは「神は光」、そして後半のテーマは「神は愛」と言えるでしょう。3~5章には66の節がありますが、その4分の1ほどに、神の愛が語られています。この手紙はすでに主イエスを救い主と信じている人々に書かれており、神に愛された者たちがその愛の関係を保つようにと勧めているのです。

神は、まだ私たちが罪人であったときに愛してくださったことが非常に大切です。「どんなにすばらしい愛を与えてくださったか」という訳に注意してください。このギリシア語は、ガリラヤ湖で嵐を鎮められた主イエスに対して、「この方はどういうお方なのだろう」と言った時にも使われています(マタイ8:27)。「この方はどこから来られたのだろう」という驚きが含まれているのです。確かにこの世のどんな愛よりもすばらしい愛を、天から来られた主は与えて下さいました。

新聖歌31番の歌詞を紹介します。「大空紙とし海原墨とし/木の枝筆とし世人を集めて/主の愛記さば水もかれて/果てなき大空の紙も足らじ。」

この聖書個所に記されている偉大な神の愛は次のようにまとめられるでしょう。

一、遜られた神の愛

主イエスは天の御座から地上においでになりました。それは、神を認めず自分勝手に生きていた私たち罪人を、愛されたからです(ロマ5:6-8)。1982年に参加したある集会で、一人の女性が自分の半生を証しするのを聞きました。彼女はクリスチャン家庭で生まれたのですが、それが嫌で悪友と過ごすようになりました。それから麻薬や売春に手を染めるようになり、刑務所に入りました。刑を終えた後も生活は変わりません。しかしあるクリスチャンが彼女に主の愛を伝えたゆえ、彼女は罪を悟り、悔い改めたのです。自分では主のもとに行けなかったのに、「主は私のもとに来られた」と高らかに賛美してくれました。

二、引き上げてくださる神の愛

主が十字架にまで遜られたゆえに、私たちは神の子どもとされました。神の子どもなら、父なる神や主に属する者たちと親しい関係を築くことができます。神の愛により、罪の深みに沈みかけていた私たちは引き上げられ、神の家族に入れられたのです。他の何事によってもできないことが、神の愛によってなされます。

主と親しい関係をもつなら、その結果として、私たちは主に似た者とされ、神の子どもとしてふさわしい生き方ができるようになるのです。周囲の人々も必ずそれに気づくことでしょう。

三、きよさを求めさせる神の愛

主イエスに似た者となるため、主と同じようにきよく生きることを、私たちは求めているでしょうか。主と人に仕えたい、主に従って歩みたいと願っているでしょうか。神の愛がわかればわかるほど、そのように動機付けられるのです。

アイザック・ワッツという有名な牧師の作った聖歌の歌詞をご存じでしょう。「栄えの主イエスの十字架を仰げば/世の富ほまれは塵にぞ等しき。ああ主の恵みに報ゆるすべなし/ただ身と魂とをささげて額づく。」(新聖歌117番)

この偉大な神の愛が自分に臨んだという経験をなされたことがありますか。罪深い自分を引き上げてくださり、神の家族に入れてくださることがわかったら、喜びで胸がいっぱいになるでしょう。もし、神の愛を受け取っていないなら、今、そのままの姿で受け取ってください。

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