「天の父なる神」 マタイ6:25-34
何を食べようか、何を飲もうか、何を着ようかと言って、心配しなくてよいのです。(31節)
「山上の垂訓」は、「天の父なる神」と親しい交わりをもつことがどれほど幸福かを教えています。「私の父は尊敬できない」と言う人もおられるかもしれません。しかし、「天の」父は、血のつながった父とは全く違います。ではどのようなお方なのでしょうか。主イエスは、天の父がどのようなお方かを次のように説明なさいました。
一、全ての人を養ってくださる
地上の父は自分の家族を養います。けれど天の父は、家族のみならず、地上に生きるもの全てを、一羽の鳥さえも養って下さっているのです。自然界が不思議な調和の中にあることを、学者は「生態系」と名付けています。牛が草を食べ、猛獣が鹿を食べるのは、神がそのように創造されたからです。私たちが食べる食物も、この自然界に昔からありました。太陽の光や雨によって育つ草やそれで育つ家畜を見ればわかります。
私たち人間は、自分たちの努力で様々な食糧を生産していると考えています。しかし、品種改良をしたとはいえ、もともとは自然界にあったものであることを忘れてはなりません。空の鳥はなんの生産活動をしていなくても、神は彼らが生きられるように備えておられるのです。私たちは謙遜になって、神が私たちを養ってくださっていることに感謝しようではありませんか。
二、全ての人を装ってくださる
天の父なる神は、野に咲く花を美しく装ってくださいます。その美しさは、人間が造る物よりはるかに優れているでしょう。花は食糧にならなくても、人の心を慰め、励まします。その美しさにしばし見入ってしまいます。それと同様に、天の父なる神は私たち人間を装ってくださいます。豪華な着物ではなく、その人の人格、人となりによって装ってくださるのです。
どのような衣服を着るかも大切です。しかしどんな美しい服を着ていても、意地悪なことをする人であるなら、尊敬されるでしょうか。貧相な身なりでも周囲の人々の悲しみを癒やし、生きる力を与える人はいます。一日のいのちしかない花をも装ってくださっている天の父なる神は、数十年生きる私たちを装い、人々に良い香りをもたらす者にしてくださるはずです。
三、全ての人を愛してくださる
天の父なる神は、鳥や花も顧みてくださっていますが、最も愛しておられるのは私たち人間です。人間を「万物の霊長」として最後に創造され、秩序ある自然界を治める責任を委ねられました。そして被造物の中で、人間のみが「神」という存在を認識し、この方と交わることができるようにされたのです。神が最も愛される人間が、自然を調和ある姿に維持できると信頼して。
父なる神が私たち人間を愛しておられることは、この自然を通してだけでなく、神のことばである聖書を通してより明確に理解することができます。特に神の御子イエスはこの真理を、そのことばと行いによって示してくださいました。鳥や花よりももっと大切な存在であることを、この個所でも明確に語っておられます。私たちに必要なことはみな、神はご存じなのです。
天の父なる神の任務は、私たちを見張って、悪いことをする者を罰することではありません。私たちが人々を愛し、自然を愛して、平和(調和)の中に生きることを望み、必要なものを備えなさることです。これが分かるなら、私たちは喜びをもって神と人に仕えて歩むことができます。