2024.1.7メッセージ内容

「神の国の福音」 マタイ5:1-12

心の貧しい者は幸いです。天の御国はその人たちのものだからです。(3節)

マタイ福音書5~7章は「山上の垂訓」と言われ、「天の御国」がどのようなものかを教えている重要な個所です。それは地上にあるどの国家とも違っていて、神との交わりを基盤にしています。その冒頭で主イエスは、どのような人が真に幸福なのかを、常識とまったく逆の表現を用いて説明なさっているのです。

一、物質では得られない幸福

貧しい者、悲しむ者、飢え渇いている者は、現実の世界においては不幸な人々と思われています。しかし主は、神との関係を想定されているのです。神の前に自分の弱さや罪深さを正直に認め、神から義とされることを求める人こそ幸いです。そういう人が柔和な者(へりくだった者)なのです。彼らは神との交わりを求め、神もそれに応えて彼らを満たしてくださいます。

多くの人々は、お金やものを多く持っている者が幸福だと思っています。確かに貧しいゆえに困難な生活をする人も多くいます。しかし、人の欲望は限りがありません。もっと豊かになることを求め、倫理道徳に反することをする人も出てくるのです。どんなに物質が豊かでも不満な人ではなく、たといわずかでも喜んでいる人々こそ、神の目には尊いことを知りましょう。

二、権力では得られない幸福

当時の権力者は、あわれみとか、心のきよさとかを求めようとはしませんでした。かえって、武力で人を屈服させようとしました。しかし「剣を取る者は剣で滅びます」。主は、他人をあわれむ者こそ神にあわれまれ、心のきよい者こそ神を見ることができると仰せられました。そういう人々は、戦争ではなく平和をつくる者です。旧約聖書に登場する預言者はそのような人たちでした。

現在の世界も全く同じです。自国の繁栄を追い求め、他国の貧しい人々をあわれまないなら、戦争がおこってしまうことは、だれもがわかる真理です。現代でも権力者を批判する人々はいますが、多くの場合、彼らは投獄されたり殺されたりしています。悲しい現実です。しかし主は、天の御国はそのような人々のものだと言われました。私たちはどちらの国を求めるのでしょうか。

三、天の御国でしか得られない幸福

地上の国においては、物質と権力を得ている人々が幸福だと思われているでしょう。しかし天の御国ではそうではありません、逆に富や力を持たない人々こそ、本当の幸福を得ることができるのです。彼らは何よりも、神と親しい関係をもつことを喜びます。そして神がご覧になるように、他の人々を見るようになります。神を父親のように、他の人々を兄姉弟妹のように思うのです。

このような人々によって、天の御国はこの地上にもできることを、主イエスは語られました。それは決して容易なことではないでしょう。しかし、それを求める人々は過去にいましたし、現在もいることを忘れてはなりません。そして、今生きている私たちも、それを求めるよう、主はこの教えをなされたのです。聖書は死後の「天国」だけでなく、現在の「天の御国」も語っています。

主イエスのこの教えを「権威ある者」として語られました(7:29)。何の権力もないお方のことばに、他の人にはない厳かさがあったのです。私たちも今、このみことばの権威を認めましょう。そして、これが現在の混迷の中にある人々に真の幸福をもたらす「福音」であることを、周囲にいる人々に語っていこうではありませんか。

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