2023.12.03メッセージ内容

「普通の人々」 ルカ1:5-25

その時が来れば実現する私のことばを、あなたが信じなかったからです。(20節)

ルカの福音書は、他の福音書と比較すると、一人の人間として生まれ、この地上の生涯をおくられた主イエスの姿を最も明確に記しています。誕生物語もそうで、マリアの受胎告知や家畜小屋のことが強調されています。さらに加えて、主の先駆者であるバプテスマのヨハネの誕生に関わった「普通の人々」の姿も描いているのです。

一、ザカリヤ (主は覚えている、という意味)

  彼は、戒めを落ち度なく行い、神殿の務めを老齢に至るまで忠実に果たしていた祭司でした。この時も、生涯に一度あるかないかの光栄ある役目につくことになったのです。そんな彼でも、主の使いが現れたときには、「恐怖に襲われ」ました。長く願い求めていた息子の誕生の知らせを聞いても、信じることはできませんでした。信仰深くはない、普通の人だったのです。

私たちにも、いくら祈っても応えがないことがあるかもしれません。でもあきらないでください。主は私たちのことを覚えておられます。主はあえて信仰深くない人を選んで、主の計画を実現なそうとされるのです。ザカリヤの場合、口がきけなくなりました。祭司としての働きをしばらくストップして、神のことばを聞くためです。現代に生きる私たちにも静思の時は必要です。

二、エリサベツ (神は私の誓い、という意味)

彼女も祭司の家系に生まれたのですが、残念ながら子宝に恵まれませんでした。彼女はこのことを「私の恥」と受けとめていました。それまで、子どもをもった女性を見るたびに、悲しさを覚えたり、ねたんだりしたこともあったのではないでしょうか。しかし、神は彼女に目を留め、その誓いを果たしてくださいました。彼女がマリアの親戚だったのは偶然ではありません。

当時、女性の地位は本当に低いものでした。でもルカ福音書には多くの女性の記事が載せられています。その第一号がこのエリサベツなのです。旧約聖書には90歳で妊娠したサラのことが記されていますが、それに並ぶような奇跡的妊娠です。主の深い御計画を実現するためには、このような普通の人が必要なのです。

三、マリア (愛された者、という意味)

み使いはザカリヤには神殿で現れたのですが、マリアには田舎町ナザレの普通の家で現れました。エリサベツの親類だったのですが(36節)、祭司の家系ではありませんでした。年齢もはるかに若かったはずです。ザカリヤやエリサベツと比較するなら、もっと普通の人でした。しかし、神は彼女を特別に愛し、救い主誕生のために用いてくださいました。来週さらに詳しく学びますが、彼女がみ使いから告知された「処女懐胎」という、世界でたった一度だけの奇跡を素直に受け入れることができたことの背景には、エリサベツの存在があったのです。

私たちも普通の人にしかすぎません。この3人よりももっと普通の人でしょう。しかし、主のことばを聞き、半信半疑でも従っていくなら、思いがけない出来事がおこります。主は、普通の人だからこそ用いられることを忘れてはなりません。自分だけではなく、周囲の人々に喜びが広がるために用いられるのです。

クリスマスは、今や、全世界に広がりました。なぜそうなったのでしょうか。普通の人が、主イエスの誕生を自分のことのように喜んだからです。信仰深い自分でなくても、主は愛して用いてくださることを感謝する者となりましょう。

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