「失敗から立ち直った人」 ルカ22:54-62
わたしはあなたのために、あなたの信仰がなくならないように祈りました。(32節)
イエス・キリストには12人の弟子がいました。彼らの筆頭格だったのがペテロです。漁師だった彼にキリストは声をかけられ、3年間、「神の国の福音」とはどのようなものかを教えられました。キリストを捕らえようとした人々が迫ってきたときも、彼は「あなたとご一緒なら、死であろうと、覚悟はできています」と言い放ったのです。
一、自分の力の弱さ
ところが、実際にキリストが逮捕されると、弟子たちはみな、蜘蛛の子を散らすように逃げてしまいました。でもペテロは大胆にあとをつけていき、大祭司の家の中庭まで入り込んだのです。そして焚き火にあたっている人々の中に紛れこみ、そしらぬ顔で様子を見ていました。ところが、召使の女性が「この人もキリストと一緒にいた」と言った時、彼は「その人を知らない」と答えます。
人間とは弱い者です。自分で決心したことでも、なかなかやり通すことができません。禁酒禁煙を誓いながらそれを貫き通すことはなかなか難しいのです。人を愛することもそうです。夫婦であっても親子であっても、人を愛し通すことは易しいことではありません。悲しいことですが、離婚や家族離散を経験した人たちもおられるでしょう。人間の弱さを思い知らされます。
二、他人の目の厳しさ
自分のことを知っている人がいたとしても、ペテロはすぐには逃げませんでした。しかし、焚き火に照らされた彼の顔をしっかりと見た他の男性が、「あなたも彼らの仲間だ」と言いだします。ペテロは直ちに「いや、違う」と否定し、平静を装ってさらに1時間ほどその場に居続けました。でもペテロの発音がガリラヤ訛りであることを訝った男が、それを指摘したのです。
他人の目は怖いものです。いくら否定しても容赦なく襲い掛かります。現代のSNSは、昔よりはるかに恐ろしい批判を人に投げかけます。どれほど多くの人がそれで傷つけられていることでしょうか。意志の強い人であっても、多くの人々から批判されると打ちのめされます。正しいことを正しいと言い続けて、悪者扱いされる人は過去に何人もいました。イエス・キリストもそのような人物の一人と言えるでしょう。
三、キリストの憐みの深さ
ペテロが三度目に否定したとき、鶏が鳴きました。キリストはそうなることをご存じで、34節でそう言っておられます。ペテロもそのことばを思い出しました。そして思わずキリストのほうを見ました。その時、キリストもペテロを見つめられたのです。二人の視線が合ったとき、ペテロは何と思ったでしょうか。キリストは何と思われたのでしょうか。
ヒントは32節に記されています。キリストはペテロを批判して、憎々しげに見ておられたのではありません。その目は多分、こう言っていたでしょう。「ペテロよ。強がる必要はないよ。あなたの弱さはわたしが一番良く知っている。でも、あなたの信仰がなくならないように、わたしは祈っている。あなたは立ち直ることができる。その時には、他の人たちを力づけてあげなさい」と。
人はだれでも失敗をします。しかしその時、その失敗を批判する人ばかりではありません。キリストのまなざしは常に愛であることを知ってください。それがわかるなら、私たちはたとえ失敗しても立ち直ることができます。そして、他の人を励ますことができるようになるのです。