「神のあわれみ」 創世記19:12-26
その人たちは彼らの手をつかんだ。これは、彼に対する主のあわれみによることである。(16節)
信仰深いアブラハムとは対照的に、甥のロトはソドムの町で神との交わりが少ない生活をしていたようです。悪に満ちたこの町を、主は見過ごしにすることができなかったのですが、アブラハムの必死の執り成しで、ロトとその一家にあわれみを示されたのです。主はどのような形でそれを表されたのでしょうか。
一、知らせる
御使いはわざわざソドムの町にやって来て、ロトの家に泊まろうとしましたが、彼らに乱暴をしようとした人々がいました。そこで御使いはロトとその家族を守ろうとして、主がこの町を滅ぼそうとしておられることを知らせたのです。そして身内の者と一緒に、この町から逃げ出すように告げました。しかし、娘の婿たちには、それは悪い冗談のようしか思えませんでした。
現代社会にも、悪い出来事が満ちています。正義の神の目から見れば、直ちに滅ぼされても不思議ではありません。しかし、それを真剣に受けとめようとする人々は少数です。多くの人々は、この社会はさらに発展していくように考えています。でもあわれみある主は、温暖化や戦争や疫病によって、私たちに警告しておられます。このままだと、地球は滅びるぞと。
二、連れ出す
婿たちが真面目に聞こうとしなかったからでしょうか。ロト夫妻と娘たちは逃げ出すことをためらっていました。そこで御使いは彼らの手をつかんで、強引に町の外に連れ出しました。こんなことをなさったのは、主が彼らをあわれまれたからに他なりません。さらに「いのちがけで逃げなさい。うしろを振り返ってはなりません」とまで念押しされたのです。
本来、神は人間の自由意志を尊重されるお方です。しかし、ロトとその一家をあわれまれた主は、非常手段を用いられました。現在の私たちも、自分の願い通りにならない時こそ、「これは自分の思いであって、神のみ旨ではないかもしれない」と考える余裕が必要です。主はあわれみのゆえに、見えるものに依存しやすい私たちに本当に大切なものは何かを教えようとされます。それを受け入れる素直さがあるでしょうか。
三、聞き入れる
強引な御使いのやり方についていけなかったロトは、山にまで逃げることはできないと主張し、「近くの小さな町に逃げさせてください」と頼み込みました。御使いは彼の勝手な願いを聞き入れて、その小さな町ツォアルを滅ぼさないと約束されたのです。やっとこの町に着いたとき、ソドムとゴモラの町に硫黄と火が降ってきました。滑り込みセーフというところでしょうか。
私たちも自分の弱さを知っています。家族のために祈っても、なかなか救いを受け入れないのはなぜかと思ってしまいます。しかし、私たちの勝手な祈りでさえ主は聞き入れてくださいます。でも、主のことばを信じないで、うしろを振り返ったロトの妻の上に溶けた岩塩が落ちてきたことを忘れてはなりません。主を見上げず、この世の富に後ろ髪を引かれていたからです。
聖書は、悪に満ちたこの世界はいつか滅ぼされることを繰り返し述べています。それは、この滅びから逃れてほしいと願っておられるからなのです。主のあわれみは山よりも高く、海よりも深いことを知り、主のみことばに従順に従う者となろうではありませんか。