「いちじくの木の下」 ヨハネ1:43-51
イエスは答えられた。「ピリポがあなたを呼ぶ前に、あなたがいちじくの木の下にいるのを見ました。」(48節)
一、イエスはガリラヤで次々と弟子を召されました。
ピリポは弟子とされ、その彼がナタナエルに出会ったとき、「私の会ったその人はナザレ人で、ヨセフの子イエスです」と伝えます。ナタナエルは旧約聖書に精通していましたので、「ナザレから何か良いものが出るだろうか」と答え、「君のいうことは信用できない」と答えます。しかし、イエスがナタナエルに会って、「ピリポがあなたを呼ぶ前に、あなたがいちじくの木の下にいるのを見ました」と言われたとき、彼は直ちに「イエスは神の子です」と言って、弟子となりました。
二、いちじくの木の下とは何なのでしょうか。
これはナタナエルが弟子の召命をうけた時の決め手となった言葉でした。5年、10年、15年と、ナタナエルはいちじくの木の下に跪いて選民イスラエルの回復を祈る、その一事がナタナエルの神の前の真実な祈りでした。親も知人も誰も、いちじくの木の下のナタナエルの祷告には気付きませんでした。しかし、彼は自分の心の中の一番大事なことを知って、それを言い当てられたイエスの言葉を聞き、イエスの弟子となって従って行こうとしました。
3.私たち信徒のいちじくの木の下とは何でしょうか。
21世紀に生きる信徒は、自分ならではのいちじくの木の下を確保しなければならないでしょう。聖書通読、次世代への信仰継承、1人か2人、重荷をもつ方の救いのためのとりなし、あるいは、教会役員として使命の遂行、さらに地域社会における一途なボランティア活動など、各自がいちじくの木の下に跪いて祈るとき、神様による驚くべきみ業がなされ、神の栄光が現されてくることでしょう。