「尽きない喜び」 ヨハネ4:1-15
わたしが与える水を飲む人は、いつまでも決して渇くことがありません。(14節)
ニコデモとの対話の中で「永遠のいのち」について教えられた主イエスは、ニコデモと対照的な人物であるサマリア人の女性には、彼女の最も必要としていた水を用いて、同じ真理を語っておられます。水なしでは生きていけない人間に、それと同じほど重要な「生ける水」があることを示し、尽きない喜びの秘訣を教えられたのです。
一、誰にでも与えられる
サマリアに住むのは、大半が異邦人との混血によって生まれていた人々だったので、一般のユダヤ人は彼らを蔑視していました。しかし主は、あえてその地を通られ、この女性に会われたのです。「生ける水」は、どんな民族にも必要だからです。当時、男性から女性に声をかけることはなかったのですが、主は「わたしに水をください」と自分のほうから声をかけられました。
旧約聖書はユダヤ人が中心になっています。しかし主イエスは、全世界の人々に等しく必要な真理を語られました。肉体の命ではないいのちがあることや、飲料水ではない水があることは、だれもが知るべき真理です。また、この地上で生きることが苦しみではなく喜びであることも、すべての人が知るべきことです。それは、神ご自身が与えたいと願っておられます。
二、求める者に与えられる
この女性は、主が井戸の水を欲しいと言われているとしか理解できませんでした。だから主が「あなたのほうからその人に求めていたでしょう」という言葉に納得がいきませんでした。主がこう言われたのは、「いつまでも決して渇くことがない」水を、彼女が求めるように導くためだったのです。「生ける水」とは、「湧き出る水」という意味をもっていることを知ってください。
多くの人は地上の生活をおくることだけで汲々としており、死後のことを考えている人はごくわずかです。この女性が主に「その水を私に下さい」と言ったのも、人目につかずに飲料水を得ることができたらという利己的な願いの表れでした。主はそれを契機として、彼女のもつ大きな問題に言及し、夫婦関係の問題をあえて引き出されました。それを解決しなければ、尽きぬ喜びを得ることができないからです。
三、キリストによって与えられる
彼女は、自分の問題に主が立ち入ることを嫌がっていました。だから、「礼拝の場所はエルサレムなのか?」と宗教的な問題にすり替えようとします。でも主は礼拝するときに大切なのは、場所ではなく態度であると答えられました。サマリア人もユダヤ人も同じように期待していたメシアとして、主イエスが来られたことを、この女性はやっと理解することができたのです。
現在も、エンターテイメントはあちこちにあります。スポーツも、旅行も、カラオケも、ゲームも、短い時間なら人を喜ばせることはできるでしょう。しかし、いつまでも尽きることのない喜びは、主イエスしか与えることはできません。その喜びはこの地上だけではなく、死後にも続くのです。さらに、周囲の人々にも広がっていく喜びは、神に愛されているとの確信から生まれてきます。
私たちに永遠のいのちが与えられている事実に気づく時、それは尽きない喜びをもたらしてくれます。次から次へと湧き出てくる水のように、その人からほとばしり出て、周囲の人々を潤すのです。今日もしっかりと主イエスにつながり、喜びに満ちた生活をおくる者となりましょう。