2023.05.28メッセージ内容

「主の御手に」 ヨハネ6:1-13

そうして、イエスはパンを取り、感謝の祈りをささげてから、座っている人たちに分け与えられた。魚も同じようにして、彼らが望むだけ与えられた。(11節)

今朝は、61歳で牧師となられた池口師のメッセージですが、第一部では、鎌野が池口師の選ばれた個所から同じポイントを用いて、講解説教をさせていただきます。

一、限りない神様のご愛

「5千人の給食」と言われる主イエスの奇跡の物語ですが、底流にあるのは当時の貧しい群衆に対する神の愛です。主に従ってきた群衆は、すでに病人の癒やしを見ていました。自分の病も癒やしてもらいたいと願っていた人もいたでしょうし、大半は貧しい人々だったと思われます。そういう人々に対して、主は神の国の福音を語られました。それが夕方まで続いたので、人々は空腹になってきました。弟子のピリポに質問されたのは、このような大群衆を養うことは、普通では無理なことを知らせるためでした。

現代でも、貧しい人々は多いです。人間の福祉事業にも限界がありますし、予算も限られています。では何もできないのか。そうではありません。この少年のように5つのパンと2匹の魚をもってくることはできます。この少年にとって大切なお弁当でしたが、それを主のもとに持ってくることはできます。小さな愛の心を主の御手に委ねるなら、主はそれ何倍にもされるのです。

二、神様のご真実

主は人々を草の上にすわらせました。他の福音書によると、50~100人ほどのグループに分けられたようです。そして主は感謝の祈りをささげられました。そんな少量のものに感謝することができるでしょうか。一つのグループに分け与えられたものは、ほんの一切れなのです。

ほんの少しの物を感謝する主イエスの姿を見て人々は感動しました。たとえ少数でも、この時、主の真実な愛を受けとめた人が、隠し持っていた弁当を差し出したことも考えられます。聖餐式のパンと葡萄酒もほんの少量です。しかしそれで心動かされた経験があるでしょう。主の愛と真実を受けとめた人は、自分の欲ではなく、他の人のために愛をもって対応するようになります。

三、神様のみ言葉の確かさ

群衆は、望むだけ食べることができました。しかし、余ったものを無駄にすることは主のみ心でではありません。そのパン切れを集めると、12の大きなかごがいっぱいになりました。豊かな人が自分の弁当を差し出すことがあったとしても、それだけの量になるとは想像できません。そこに奇跡がおこったのです。主のみ言葉は、確かに生きて働き、この状況を変えたのです。

池口師には慢性病があります。その体で牧師としての働きをすることは困難だと思う人もあったでしょう。しかし、神学校での4年間の学びを終え、但馬福音教会で2年間、奉仕をなさいました。この間、すでに11名の方が新しく礼拝に出席されるようになったとのこと。いやこれからもっと多くの方々に福音を語りたいと祈り労しておられます。主のみ言葉は確かだからです。

福音を伝えることは、決して簡単ではありません。しかし、この少年のように小さなものを主の手におささげするなら、主が奇跡をなしてくださいます。今、私たちにも主は語っておられます。「あなたの持っているものをわたしに委ねよ」と。今、主の御手に委ねましょう。自分の小ささではなく、主の大きさを信頼して。 

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