「信仰者の叫び」 詩篇51:1-13
あなたの恵みにしたがって、私の背きをぬぐい去ってください。(1節)
詩篇は神に対する人間の叫びです。特に、罪ある自分の姿を悲しみ、「私の背きをぬぐい去ってください」と訴えるこの51篇に共感を持つ信仰者は多いでしょう。作者のダビデは大きな罪を犯した後に、この詩篇を作りました。信仰者の叫びとは、
一、赦しを求める叫び
サムエル記第二12章に記されているように、この時、ダビデは姦淫と間接殺人の罪を犯していました。彼はそれを隠そうとしますが、神の目を欺くことはできません。預言者ナタンの指摘によって、彼は自分の罪を認め、悔い改めて、「背きをぬぐい去ってください」と主に叫びました。信仰者は、神がすべてのことをご存じだと知っているからこそ、その良心が痛むのです。もし私たちの心に痛みがあるなら、それを認め、赦しを叫び求めましょう。
二、きよさを求める叫び
ダビデは生まれた時から自分に罪があることを自覚していました。これが聖書のいう「原罪」です。自分の犯した罪を正直に悔い改めた後に、今度は自分の心のけがれに気づき、「あなたの聖なる御霊を私から取り去らないでください」と叫ぶことは成長の証です。きよい心を造ることができるのは、聖霊だけだからです。私たちもこのきよさを求めて、聖なる神に叫びましょう。
三、喜びを求める叫び
赦され、きよめられる時、「救いの喜び」が戻ってきます。「仕えることを喜ぶ霊」で自分が支えられます。「砕かれた霊、砕かれた心」こそ、神が喜ばれるいけにえです。神と人の前にへりくだって仕えるとき、心は喜びに満たされるのです。主イエスの十字架によって罪赦され、聖霊に拠り頼んで歩む者は、現在でもこの喜びが与えられることを知って、ダビデのように「救いの喜び」を叫び求めようではありませんか。
私たちも様々な失敗をしたり、人には言えないような罪を犯しているかもしれません。しかし、神の前にそれを悔い改めることが何より重要です。その後、時間をかけて聖霊は私たちをきよい生活、喜びの生活へと導いてくださいます。