2023.03.05 メッセージ内容

「わたしは良い羊飼い」 ヨハネ10:7-18

わたしは良い牧者です。良い牧者は羊たちのためにいのちを捨てます。(11節)

プロテスタント教会では、神父とか司祭ではなく牧師という用語を用います。これは、主イエスがご自分のことを「良い牧者」と呼ばれたことが一つの理由です。確かに主は、旧約時代の預言者や祭司とは少し違った働きをなさいました。主が牧者であるとはどういう意味なのかを、今日の聖書個所から学んでみましょう。

一、羊の名を知る

昔も今も、「宗教家」と自称しながらひどいことをする人々がいます。主イエスの時代のパリサイ人がそうでした。一般の人々より自分は立派な者であると公言していました。しかし主は人々の弱さをご存じの上で、彼らに仕えられたのです。その人の名を呼び、彼らを養われました。ちょうど牧者が羊の名を呼び、彼らを牧草地や水のほとりに連れていくのと似ています。

羊飼いが羊と親しい関係にあるのと同じように、主イエスは私たちを十分に知り、その必要を満たしてくださいます。目に見ることはできませんが、私たちのそばにおられ、また私たちの先に立ち、いくべき所に導いてくださいます。問題はこのお方が自分の必要をすべて知っておられる方だと信頼しているか否かです。主は、祈り求めるならば、必ずお応えくださいます。

二、羊にいのちを与える

主はご自分を門にも譬えておられます(7節)。主を通って羊は牧草地にいくのです。私たちも主をより深く知ることによって、もっと豊かな霊的成長を遂げることができます。その中心は、十字架によって自分のいのちを与えてくださったことです。いのちほど大切なものはありません。主は、永遠のいのちを与えてくださるのです。

永遠のいのちとは、この地上のいのちがいつまでも続くことではありません。目に見える食物で保つものでもありません。永遠のいのちは、永遠なる神と共に歩むことです。愛に満ちたお方と交わることによって、私たちの心も愛に満たされることです。そしてその結果として、家族や友人を心から愛せるようになるのです。このとき、地上の国は神の国に変わることを知って下さい。

三、羊を一つにする

主イエスはユダヤ人としてこの地上に誕生されました。しかしそれは、地上のあらゆる民族を一つにするための手段でしかありません。主の昇天後、弟子たちは全世界に福音を宣べ伝えることとなります。どのような言語や文化の差異があっても、互いに愛し合うことは人間関係の基盤であることを皆に知らせるためです。そのため、彼らは自己犠牲の道をたどりました。自己犠牲こそが対立を解消する唯一の方法だからです。

今、世界は分断されています。豊かな人や国と、貧しい人や国には大きな格差があります。考え方の違いや政治体制の違いも、世界をばらばらにしています。そういう状況では、どんなに望んでも、平和は実現しません。それぞれの違いを認めながら、互いにへりくだって相手の意見を聴き、互いに愛し合い、助け合うことこそ、世界が平和になるためには不可欠です。

主イエスが良い牧者であることを宣言されたのは、その模範に倣うように私たちを励ますためです。牧師は、一つの教会において群れの羊を愛してその成長のためにあらゆる努力をします。家庭でも職場でも、あるいは社会や国家でも、上に立つ人が良い牧者になるなら、国は変わり、そして世界は変わっていくに違いありません。

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