2022.12.11 メッセージ内容

「祈りに応えて」 ルカ1:5-25

ザカリヤ。あなたの願いが聞き入れられたのです。あなたの妻エリサベツは、あなたに男の子を産みます。その名をヨハネとつけなさい。(13節)

旧約聖書の時代、救い主の来臨を待望していた人々の気持ちは、現代では主イエスの再臨を待ち望む人々が一番よく理解できるでしょう。救いのわざはすでに実現しましたが、全世界の救いは未達成だからです。再臨を待つ人は祈ります。ちょうどザカリヤ夫妻が祈っていたように。

一、求めて祈る

ザカリヤ夫妻は敬虔な人でしたが、いくら祈っても子どもが与えられませんでした。あきらめかけていた頃、神殿で香をたくという重要な仕事をすることになりました。ザカリヤは、そこで主の使いに会ったのです。彼の祈りは無視されていたのではなく聞かれていました。しかも驚くべきことに、誕生する子は救い主の道備えをする人物だと告知されます。たとえどんな状況の中でも祈り求めることを忘れてはなりません。

現在の世界状況を見るなら、2023年はどんな年になるのか、不安が脳裏をかすめるでしょう。戦争・疫病・気候変動・地震・物価高など、人間の知恵と力で何とかしようと思っても、どうすることもできないことばかりです。主イエスの再臨こそ、世界が正しく裁かれる時だと聖書は宣言しています。だから私たちはこの世界に注がれる神の愛を確信して、祈り求めねばなりません。

二、信じて祈る

その御使いは自分のことをガブリエルと名乗りました。「神は力ある方」という意味です。しかしザカリヤは、御使いの言葉を信じることができませんでした。祭司でありながら、なんと不信仰なことでしょう。しかし、そんなザカリヤの祈りを神は聞いていてくださったのです。その後、彼がしばらく話せなくなったのは、沈黙の中で神と交わることが必要だったからでしょう。

祈りは、今も世界を支配しておられる全能の神とつながることです。こんなちっぽけで弱く、罪深い者でも、神と交われることを忘れてはなりません。そうであるなら、神を信頼しましょう。いくら祈っても応えられないと思うのは、自分の考えを優先しているからです。信頼できるのは、自分ではなく全能の神ご自身ではないでしょうか。そう理解すると、祈りは楽しいものとなります。

三、感謝して祈る

妻のエリサベツは、多分、筆談によって、夫の身に起こったことを理解したのでしょう。そして、実際に妊娠した時、「主は今このようにして私に目を留めてくださった」と感謝の祈りをささげました。実際に子が誕生するまでにはまだ時間が必要でしたが、喜びをもって出産の日を待ち望んだのです。神を信じるなら感謝が生まれます。常に喜び、絶えず祈り、全てを感謝できるのです。

この地上におこっていることを見て、悲観的になってはいけません。私たちの目を、天に向けましょう。黙示録には、地上の悲惨な姿と、天での賛美の姿が交互に描かれています。まさに今は、黙示録の描く地上のように思えます。だからこそ、感謝することが大切です。エリサベツから生まれたのはバプテスマのヨハネだったことが、3章に記されています。彼は主イエスが伝道するための道備えをするという大役を果たしたのです。

主イエスの誕生を待ち望んだ人も、暗闇に住む人々でした。でも彼らには希望の光がありました。現代もまったく同じです。この世界の様々な問題を解決るためには、祈りによって生み出される、貴い神の人が不可欠なのです。

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