「系図に見る福音」 マタイ1:1-17
キリストと呼ばれるイエスは、このマリアからお生まれになった。(16節)
ここ数か月学んできた旧約聖書は、神の選民であるイスラエルの歴史の中で、神がどう働かれたかが大きなテーマでした。新約聖書は、この民の一人として誕生された主イエスが全世界の人々の救い主となられたという福音を告知します。それは冒頭の系図の中に示されています。
一、悲惨な歴史の中で
この系図に登場する47名の人々はみな歴史上の人物です。アブラハムからダビデまでの14代は恵みの時代でした。神はイスラエル民族を選び、王国として繫栄するまでに育て上げてくださいました。しかしソロモンからエコンヤまでの14代は背きの時代でした。多くの王が神に従わなかったため国は滅亡し、バビロン捕囚となったのです。帰国後も以前の繁栄を回復できない苦難の時代が続く中で、主イエスの誕生を迎えます。
主イエスの時代もイスラエルはローマ帝国の支配下にあり、人々は苦難の中を歩んでいました。どの国の歴史を見ても、悲惨な時代があります。そんな時代を無視したり軽視したりする人々は、昔も今も、多くいます。日本の歴史もそうですし、韓国や中国、あるいは欧米諸国もみな、そのような悲惨な時代がありました。しかし、その歴史を直視することが重要なのです。
二、罪ある人々のために
この系図には4名の女性の名が記されています。みな、系図に載せるのがはばかられるような経歴をもっていました。タマルは近親相姦によって子を宿し、ラハブは当時の遊女で、ルツはイスラエル民族と敵対していたモアブ人です。さらにダビデは、ウリヤの妻を奪い取ってソロモンをもうけたのです。しかし、主イエスはそのような罪ある人々の子孫として誕生されました。
彼ら以外にも、旧約聖書の中には、大なり小なり、罪を犯している者のことが記されています。罪人がそのままであり続けるなら、だれもが不幸になります。神はそうならないように、人々を憐れみ、何とか正しく歩む民によって平和な国家が造り上げられるように、預言者を送られました。しかし、人々は彼らを迫害しました。最後の手段としてご自分の御子を遣わされたのです。
三、誕生された救い主
イエス・キリストという名称は、新約聖書全体の中でもたった4回しか用いられていません。これは「救い主イエス」という意味で、イエスという名前の歴史上の人物がメシア=世を救う者であることを告白する表現です。「罪ある人間と等しくなられたお方こそ、人を救うことができる」という信仰を表明しているのです。神である方が人となる以外に、救いの道はありません。
「イエス・キリストこそ救い主」と私たちが告白するのは、歴史上の多くの偉人の一人と考えるからではありません。偉人なら世界中のどの国にも多く登場しました。しかし、真の神が真の人となられたという、人間の理性では考えられない出来事が起こったからこそ、「キリスト教」は誕生しました。まさに奇跡がおこったのです。聖なる神が、罪ある人間となられたことが、聖書の語る福音の最も重要な基盤と言えます。
クリスマスは、現在、全世界で祝われるようになりました。それは、イエス・キリストが全世界の救い主だからです。この季節こそ、福音を人々に語る絶好の機会です。教会でのクリスマスは、地域や家庭やテレビなどで経験するものとは全く違ったものだと、人々に伝えましょう。