2022.11.20 メッセージ内容

「国が滅びる!」 第二列王25:1-12

わざわいではなく平安を与える計画であり、…将来と希望を与えるものだ。(エレミヤ29:11)

紀元前7世紀、ヨシヤ王は罪を悔い改め、宗教改革を断行したのですが、その後3代に渡り、またしても主に背く悪王が続きました。そして紀元前586年、南王国はバビロニア帝国により亡ぼされます。悲惨な歴史ですが、その中にも希望があったことを見逃してはなりません。

一、滅亡に至った理由

ゼデキヤは南王国最後の王でした。彼の前の王たちと同じように、彼は「主の目に悪であることを行った」ことを、聖書は厳しく宣言します。滅亡は主の怒りの結果であることは否定できません。彼らは、バビロニア帝国に貢物を贈ったり、南にある大国エジプトに助けを求めたり、知恵を尽くして国を守ろうとしたのですが、主に助けを求めようとはしませんでした。神に選ばれた国であるとの自覚がなかったのです。

現在も「キリスト教国」と言われる国々があります。しかし、実際に神に拠り頼んで政治がなされているとは思われません。様々な宗教を信じている人々がいるからでしょう。逆に、もし日本の国教は「神道」であると言われても困ります。しかし、クリスチャンが個人として歩むとき、神に助けを求めず、自分の知恵や富に頼るなら、それは「主の目に悪である」ことを知りましょう。

二、滅亡していく経過

ゼデキヤ王も何とかして国を保ちたいと願ったゆえに再びエジプトに助けを求めました。しかしそれは、バビロンの王への反逆とみなされたのです。ネブカドネツァル王はエルサレムを1年半にわたって包囲し、兵糧攻めにします。ついにゼデキヤは側近と共に逃げ出すのですが、簡単に捕らえられてしまいました。そしてエルサレムの町は、神殿も王宮も城壁も破壊されたのです。

この時の惨状は、エレミヤ書32章や哀歌全巻に詳しく描かれています。戦争の悲惨さは、昔も今も変わりません。せっかく造られた家屋も、道路も、発電施設も破壊されます。最も悲しむべきなのは、兵隊のみならず民衆も含め、何十万人という尊い人命が失われてしまうのです。自分の国を守るためという理由があるとしても、このことが神のみ旨だとは思えません。

三、滅亡した後の希望

南王国に住んでいた多くの人々は、バビロンの町へ捕囚として連れていかれました。この時までに、すでにダニエルやエゼキエルもバビロンに連行されていました。残されたのは、「貧しい民の一部」だけでした。しかし神は、バビロンに捕囚となった人々に恵みを与えられました。彼らは、バビロンで悔い改め、その国で尊く用いられ、70年後に帰還するきっかけとなったのです。

預言者エレミヤは、すでにこのことを預言していました。「バビロンに70年が満ちるころ、わたしはあなたがたを顧み、…あなたがたをこの地に帰らせる」という主のことばを記録していたのです(エレミヤ29:10)。そして、主のご計画は、平安を、そして将来と希望を与えるためのものであると宣言します。いつの時代も、人間の背信に対して神の裁きがあるのは事実ですが、その罪を悔い改める時、主の憐れみは注がれます。

国の亡びという悲劇の中でも、主は希望を与えようとされたことを忘れてはなりません。過去の日本も、敗戦という試練を乗り越えて、素晴らしい復興をとげました。その中に神の憐れみがあったと受け取りましょう。いつの時代でも、主を信頼する者には希望があるのです。

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