2022.11.13 メッセージ内容

「罪に対するさばき」 第二列王22:8-17

行って、…私のため、民のため、ユダ全体のために、主を求めよ。(13節)

ヒゼキヤ王の時代に、アッシリア帝国から守られた南王国でしたが、その後2代にわたって悪王が続き、国は衰退してきました。しかしその後、第18代の王ヨシヤが登場し、復興に乗り出したのです。神のさばきから救われるために必要だった3つの要素がここで教えられます。

一、指導者の重要性

ヨシヤ王は8歳で即位したのですが、26歳になったとき、宮の修理を命令しました。この16年間に彼を正しく指導した人たちがいたからです。政治的な面では書記シャファン、宗教的な面では大祭司ヒルキヤだったと推測されます。悪王二人が治めていた頃には、神殿に礼拝に行く人も少数で、宮は荒れ放題だったのでしょう。ヨシヤ王は彼らの指導を素直に受けて、主を礼拝することの重要性に気づいたのです。

今の時代も、若い人が主のみ心にそった生き方をするためには指導者が何よりも重要です。教会学校の教師のためには、教会挙げて祈りましょう。私たちの教会に若い人たちがさらに多く集い、活躍するためには、もっと多くの教師が必要です。「私にはとてもできない」と考えないでください。母の日のきっかけになったのは、教会学校教師を長く務めた婦人だったのです。

二、律法の重要性

神殿の修理をしているとき、「律法の書」が発見されました。2代にわたる悪王の時代に燃やされてしまわないよう、隠されていたのでしょう。この時代には、一般の人たちは律法を聞く機会が全くなかったのです。この時、ヒゼキヤ王は、シャファンに律法を読むことを命じ、それを聞いて素直に悔い改めました。彼は、祖先から受け継いだ律法の重要性を悟ったのです。

現代の多くの日本人は聖書を読んだことがありません。読んでも理解していません。聖書には倫理や道徳の基本が記されているだけでなく、目に見えない神が私たち人間を愛しておられることがはっきりと記されているにも関わらず。何が正しくて、何が悪いかを知ってこそ、歩むべき道がわかります。私たちも、毎日聖書を読むならば、神の憐れみとさばきを理解できるのです。

三、預言者の重要性

王の命令を受けた大祭司ヒルキヤは、他の祭司とともに、女預言者フルダのもとに行きます。預言者は、神のみ旨に従って、誰にも忖度せずに神のことばを語る者です。フルダは、律法に従わないならこの国はさばかれると警告しました。しかし、罪を悔い改めるならわざわいは下されないとも語ったのです。神の正しいさばきを告げるのが預言者の使命であることを知ってください。

神のさばきは、悪いものを悪いと言うだけではありません。正しい者を正しく評価するのです。ヨシヤ王は、悔い改めたことによってわざわいから逃れました。しかし、自分の生きている間だけではなく、その後の王国が正しく歩むようにと、宗教改革をしたことが次の章には記されています。私たちも、この日本が、この世界が、悪くなっていくのを手放しで見ているだけではいけません。新しい生き方が必要なのです。

ヨシヤ王が神のさばきを真剣に受けとめたように、現代に生きる私たちも、真剣に聖書を読み、神のみ心を知って生活していきたいと願います。地球温暖化とか、社会保障の問題は、自分の世代だけの問題ではありません。小さなことでも誠実に歩んでいきましょう。

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