「ヒゼキヤ王の祈り」 第二列王19:8-19
私たちの神、主よ。どうか今、私たちを彼の手から救ってください。(19節)
紀元前8世紀、南ユダ王国15代目の王、ヒゼキヤは大きな危機に直面していました。数年前に北イスラエル王国を滅ぼしたアッシリア帝国が、南王国も攻撃してきたからです。敵の将軍ラブ・シャケがヒゼキヤ王に無条件降伏を求めてきたとき、王は必死に祈りました。
一、預言者イザヤの助けがあった
王は自分たちの軍事力ではとても太刀打ちできないことを知っていたので、自分の王服を引き裂き、主の宮に行きました。同時に、預言者イザヤに使者を遣わして、彼にも祈ってくれるよう願い出ました。預言者はすぐに応答し、①アッシリア王は自国に引き揚げ、②そこで暗殺される、という主のことばを王に伝えます。イザヤのこの預言はどれほど王を励ましたことでしょうか。祈りはいつの時代にも人を強くします。
教会は祈りの家です。互いに祈り合う場所です。だれかが「このために祈ってほしい」と申し出るなら、皆で心を合わせて祈るのです。祈ってもらうことを躊躇する場合や、知らせたくない場合もあるでしょう。全ての場合と言うわけでは決してありません。でも、心から祈ってくれる友人がいることは、私たちの歩みに勇気を与えてくれます。教会がそのような所になれば幸いです。
二、敵の脅しに屈しなかった
アッシリアの王センナケリブは、クシュの王が自分たちに向かってくるとの情報を得たとき、かなり焦りました。そこで早い決着を目指して、ヒゼキヤ王に手紙を書いたのです。「どんな神も、おまえの国を救うことはできない」と豪語して、降伏を迫ります。敵はさまざまな手段を通して、自分たちを攻撃してきます。特に情報戦は、昔も今も用いられる有力な方法です。
現代も、プロパガンダとかフェイクニュースと言われるものを悪用する人々がいます。私たちもそのような偽の情報に左右されやすいのです。人が造り上げた神が人を救えないのは事実ですが、本当の神が、誠実に求める者に応えられないはずがありません。「神に祈るような馬鹿なことをするな。軍事力こそ最も重要だ」という声に屈することがないよう、気を付けましょう。
三、神ご自身の前に出た
ヒゼキヤ王は宮に行き、アッシリア王の手紙を主の前に広げて、「主よ、御目を開いてご覧ください」と、主がそこにおられるかのようにして祈りました。「地のすべての王国が、あなただけが神であることを知る」ために、人間の歴史に介入してくださいと訴えたのです。そして主は実際にその祈りにこたえ、その夜に、185,000人のアッシリア軍を打たれたのです(35節)。
人類の歴史を見る時、軍事力が強い国でも戦争に負けることが時としておきます。現在進行中の戦争にも、そういう面を見ることができます。なぜなら、人間の想定外の出来事がおこるからです。この時も、激しい疫病が広がって、アッシリア軍に多くの死者が出たのではないかと推測されています。神の前に出るとき、奇跡がおこることを否定してはなりません。神のなさることは人の考えよりもはるかに偉大なのです。
「祈っても、歴史は変わらない」と信じている人々が大多数のこの世界で、私たちは真実な神が今も働いておられることを確信している少数者です。神のことばを明確に伝える聖書に基づいて、真実の祈りを神にささげようではありませんか。主は確かに生きておられるのですから。