2022.09.11 メッセージ内容

「ソロモン王の知恵」 第一列王3:16-28

神の知恵が彼のうちにあって、さばきをするのを見たからである。(28節)

列王記は、イスラエルの王たちと神との関係を記録しています。最初に学ぶソロモン王は知恵ある王として有名です。それは即位直後、神が彼に「何を与えようか」と尋ねられた時、長寿でも富でも敵の命でもなく、知恵を求めたからでした。その知恵はどのようなものだったでしょうか。

一、公平にさばく知恵

当時多くの人々から見下げられていた「遊女」が、王に直訴できたのは驚くべきことです。王は身勝手とも思える彼ら二人の訴えに、公平に耳を傾けました。どちらかが嘘をついているのは明白なのですが、王はあえて反対尋問をしませんでした。王であっても、このような態度で庶民の言い分を聞くことができたことは、神からの知恵であることの証しでしょう。神は、人間の地位や身分に関係なく、一人ひとりを愛されるからです。

現代の政治や裁判には、このような公平さが求められています。昔に比べると良くなっていることは否定できません。人権ということが強調されてきた結果だと思われます。これは聖書に示されている真理が広がってきた結果ということができるでしょう。しかし、世界の各地には、今でも人権が無視されている地域があることを知っておかねばなりません。

二、愛に基づく知恵

遊女という立場にある女性が妊娠するとは、決して望ましいことではありませんでした。しかしこの二人はどちらも、経済的困難を覚悟して出産したのです。でも悲しいことに、一人の赤ん坊だけが死んでしまいます。幼子を愛する気持ちがあったからこそ、二人とも自分の産んだ子だと主張したのですが、それは子を自分の所有物のように思っていたからでした。それは本当の愛ではなく、ただの欲でしかありません。

ソロモンが「子を二つに切り分けよ」と言ったのは、公平と言えば公平です。しかし、愛に基づくものではありません。たといその子が他人に育てられたとしても、命が保たれることを願うことこそ本当の愛です。ソロモンのさばきの背後には、本当の母親なら、子どもに対する愛があることを前提としたものだったことがわかります。

三、神から与えられた知恵

イスラエルの民は、「神の知恵が彼のうちにあって、さばきをするのを見た」と記されています。ソロモンが偉大だったのは、神が彼に知恵を与えられたからです。たといどんなにすばらしいさばきをしたとしても、自分の能力で行なったと考えてはなりません。7節で彼は、「私は小さな子どもで、出入りする術を知りません」と言っています。そのような謙遜な態度で求めたからこそ、神は彼に本物の知恵を与えられたのでした。

民主主義は、人類が長い試行錯誤を繰り返しながら産み出した制度です。ただしその根底には、権力者が謙遜な態度で政治と裁判をすることが必須条件であることを忘れてはなりません。たとい選挙で選ばれて権力をもつに至っても、自分の判断のみが正しいのではないのです。自分より上に立つお方がおられ、その方が自分をさばかれることを知るべきです。

ソロモンは自分の能力が足らないことを告白して、神に求めました。それゆえ、立派な業績を残しました。しかし晩年、その業績ゆえに彼は高慢になり、神の御心に適わない者となってしまいました。人生の晩年をどう生きるかは大切です。最後まで主に頼って謙遜に歩みましょう。

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