「霊的な戦い」 使徒19:11-20
神はパウロの手によって、驚くべき力あるわざを行われた。(11節)
ピリピやアテネの宣教は、第二次宣教旅行中になされたのですが、パウロたちはいったんアンティオキア教会に戻った後、使徒18:23から第三次宣教旅行に出かけます。この時の重要な伝道地はトルコ西端にあるエペソでした。そこでも迫害がありました。その背後にあった悪霊との戦いについて、聖書から学んでみましょう。
一、聖霊の働き
パウロたちが「驚くべき力あるわざ」を行うことができたのは、聖霊によるものであったことをまず認識することが必要です。福音書には、主イエスが多くの奇跡を行われたことが記されています。主が与えてくださった聖霊がパウロと共におられたので、彼は同じようなわざをなすことができたのです。人間の能力では、マジックはできたとしても、神のわざを行うことはできません。
主イエスは、聖霊として現在の私たちと共におられます。聖霊によって、私たちは聖い歩みができるばかりでなく、主のわざを幾分かでも行うことができます。だれかが主イエスを信じることができるとするなら、それは聖霊の働きです。私たちは何一つ誇ることはできません。過去2千年の教会の宣教のゆえに福音が全世界に広がっていったのは、聖霊の働きだと受け取りましょう。
二、悪霊の働き
それと対照的に、福音宣教が妨げられているとするなら、その背後には悪霊の働きがあります。悪霊は、人の心に様々な欲望を引き起こし、その人を破滅させるのです。金儲けのために病人の癒しや悪霊追放をしていたスケワの息子たちは、生半可な知識で悪霊に命令しました。けれど、悪霊の方が彼ら以上の知識と力を持っています。彼らは打ち負かされました。
現代でも、「霊感の強い人」とか「霊能師」とか言われる人々がいて、人が驚くようなことをすることを見聞きします。その背後に、人を惑わそうとする悪霊の働きがあることを見逃してはなりません。特に「占い」には注意しましょう。将来に何がおこるかわからないので、占いに頼る人が多いのです。時に的中することもあるようですが、それは聖霊からくるものではありません。
三、神の勝利
悪霊は人間より強い力を持っていることを、聖書はあちこちで述べています。しかし、神の力、聖霊の力に勝つことはできません。悪霊は主イエスを恐れ、またパウロを恐れていました。魔術を行っていた多くの人々は、この出来事を知って、自分たちの罪を告白し、魔術の本を焼き捨てました。その価値は5千万円ほどだったと推測されます。人々は主イエスの名を崇めるようになりました。
「悪霊」というだけで、恐れを感じる人がいますが、それは間違っています。怯むのではなく聖霊に拠り頼むのです。主イエスが悪霊に勝利されたように、聖霊に拠り頼むなら、私たちも勝利を得ることができます。そして主イエスが今も生きておられることが明確になり、主の聖名が賛美されることになるのです。ですからたとえ勝利したとしても、自分の力のゆえと思ってはなりません。
悪霊は、人々を自己中心の思いに引きずりこみ、また人々の間に憎しみを引き起こします。平和ではなく争いを生み出しています。現在の世界にも、どれほど多くの悲劇があるでしょうか。しかし私たちは、聖霊の力を知っています。どんな時でも主に拠り頼み、悪しき世界のために、苦難の中にある人々のために祈りましょう。