「救いに必要なこと」 使徒16:25-34
主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたもあなたの家族も救われます。(31節)
エルサレム会議で「恵みによる救い」が明確になった後、この恵みの福音を広く伝える使命を果たすため、パウロたちは数年前に伝道したリステラや、より遠くのギリシア北部の町々に出かけていきました。ピリピでは、入獄という逆境の中で看守たち一家が救われました。この出来事は、救いに必要なことは何かを明確に示しています。
一、伝道する人
伝道することによって迫害を受けることは、当時のクリスチャンにとっては想定内のことでした。しかし彼らは決してひるみません。投獄されたパウロとシラスは、神に祈りつつ、賛美をしていたのです。イエスが救い主であることを歌った賛美歌だったのかもしれません。牢獄にいた他の囚人たちも看守たちも、喜びながら歌うパウロたちの姿に驚いたことでしょう。
伝道するとは、教義を教えることではありません。苦難の中でも、キリストは最善をなしてくださると信じて、喜び、祈り、感謝することです。そんな姿が人々を魅了します。異教社会の日本では、キリスト教の教義を聞きたいと思う人はごく僅かでしょう。しかし、どんな時にも笑顔を絶やさない人には引き付けられるのです。福音はそういう人々によって伝えられていきました。
二、神のみわざ
そのとき、大地震がおこりました。牢獄の扉が全部開き、囚人たちの鎖が外れてしまいました。これは、人間の力ではできないことです。神のみわざというしかありません。囚人たちが逃げてしまったものと誤解した看守は、責任をとって自害しようとしたのです。ところがパウロは大声でそれを止めます。人の命は、神にとっても人にとっても代えがたい価値があるからです。
地震は、全世界で何度も何度もおこってきました。それは自然界にいつでも発生することです。しかし、ちょうどこの時におこったということは、人間の考えを遥かに越えています。神が関与されたとしか思えません。神はパウロを救うだけでなく、この看守を救うために、このみわざを示されたのです。人の働きは必要ですが、人の力で救いがなされるのではありません。
三、信仰の決断
普通ではありえないパウロとシラスの行動を見た看守は、自分のほうから彼らの前に来て言いました。「救われるためには、何をしなければなりませんか」と。何か立派な行動か、多額の金銭かと思っていたからでしょう。しかし、「主イエスを信じなさい」が答えだったのです。イエスを神の子救い主と信じるという決断こそ、この看守が救われるための必須条件でした。
看守は、自害を止めてくれたことについても彼らに感謝したでしょう。しかしもっと大切なのは、看守とその一家が、神の愛を知ることでした。上官の命令とはいえ、パウロたちに害を与えたことを悔い改め、彼らの打ち傷の手当てをし、食事を提供したのです。家族もそれを喜んで手伝ったことでしょう。神の働きと人の行動が、彼ら一家の生き方を根本的から変えたのです。
現在でも、一人の人が救われるために、神は様々な方法を備えられます。人を用いるだけでなく、超自然的な出来事さえ起こされるのです。一人の人が悔い改めて、新しい生き方をするために。大切なのは、神のなされることを信頼して、信仰の決断をすることです。それは未信者と信者のどちらにも必要なのです。