「神からの召命」 出エジプト3:1-12
わたしは、あなたをファラオのもとに遣わす。わたしの民、イスラエルの子らを導き出せ。(10節)
エジプト王家で成長したモーセは、自分の力でイスラエルの民を解放しようとしたのですが、それは失敗に終わります。彼が荒野に逃亡してから約40年後、救いを求める民の声を聞いた神は、ホレブ(シナイ)の山で羊を飼っていたモーセに現れて、3つのことをなさいました。
一、呼びかけられた
「燃える柴」を見たモーセは、なぜ柴が燃え尽きないのかを知ろうとしました。そのとき主は、モーセの名を二度呼ばれ、その場所が「聖なる地」であることを示されたのです。そういえば、アブラハム、サムエル、パウロも二度、名前を呼ばれています。彼らはみな、主のご計画を果たすために僕として遣わされて行きました。神はご自分の計画を成し遂げるために人を用いられます。
モーセはこの時80歳でした。「燃え尽き症候群」になっていたのかも知れませんが、主は、彼の名を呼んで「聖なる地」に立たせられたのです。自分の力に頼るのなら、燃え尽きることもあるでしょう。しかし、聖なる主が自分を用いてくださるなら、燃え尽きることはありません。主は今も、私たち一人ひとりの名をもって呼びかけられるのです。私たちはどう応答するでしょうか。
二、 み旨を示された
主は、神の選びの民イスラエルが、エジプト王の無慈悲な行いによって苦しめられている有様を良くご存じでした。そこで主は、この民を救い出してアブラハムに約束された地に導き上ると約束されたのです。神は約束を必ず守られることを再度、モーセに伝えられました。どのような事情で約束の地を離れたとしても、主は叫び求める民の声を無視されることはありません。
私たちの生涯にも、自分の自由意志で選んだ進路や仕事、あるいは友人であるのに、そのことによって苦難の道を歩まねばならない時があるでしょう。しかし、主に叫び求めることを忘れてはなりません。たとえすぐに答はなかったとしても、神は私たちの叫びを聞いてくださっているのです。そして最善の時に主のご計画を実行してくださいます。主に対する信頼を持ち続けることこそ、私たちの歩みに必要なことです。
三、保証された
モーセは、民を奴隷状態から解放することなど自分の力ではできないことを十分に知っていました。だから「私は、いったい何者なのでしょう」と答えます。その時主は答えられました。「わたしが、あなたとともにいる。これが、あなたのためのしるしである」と。人の力でやるのではない、主ご自身がモーセを用いられるのです。これは、新約聖書のインマヌエル預言にも明確にあらわれていることを知ってください。これは聖書全巻を貫く神の確実な保証です。
私たちの場合は、何百万人という人を導く必要はありません。自分の家族や数名の友人に救いの福音を伝えることこそが主のみ旨です。その時、「わたしが、あなたとともにいる」と約束くださっている主を信頼しましょう。時間はかかるかもしれません。しかし主は思いがけない方法を用いて、その人を救いに導いてくださるのです。
主は、私たち一人ひとりの状況をご存じの上で、「わたしはあなたの名を呼んだ」と言ってくださいます。そのお方に信頼しましょう。そして、自分でなければできないことは何かを考えましょう。主があなたを召してくださったのは、そのことを実際に成し遂げるためなのです。