「神の摂理」 創世記45:1-11
ですから、私をここに遣わしたのは、あなたがたではなく、神なのです。(8節)
兄たちの悪だくみによって奴隷としてエジプトに売られていったヨセフですが、この国で彼は総理大臣の地位に着くことになります。そして7年間の豊作の時に穀物を蓄え、その後の7年間の飢饉に備えました。食物のなくなったヨセフの兄たちは、その穀物を買うためにヨセフのもとに来ます。そこで、ヨセフは真相を打ち明けます。
一、隠されていたこと
ヨセフが総理大臣になったことは、兄たちにとっては奇想天外の事でした。その場にいたエジプト人も、まさか、遠いカナンの国から来た者たちがヨセフの兄だとは知る由もありません。飢饉の1年目にも兄たちが来ていました。でもその時にはヨセフは知らないふりをして、再度兄たちが来るように仕向け、今回も彼らに濡れ衣をきせたのです。兄たちの心の内を知るためでした。
ヨセフは真相を告げる前に、しっかり備えをしていました。兄たちが自分にしたことを悪かったと認めることが大切だからです。兄たちはそのことをすでに自覚していました(42:21)が、ヨセフはあえて弟ベニヤミンを父親のもとから離れさせ、父親の痛みと悲しみを理解させようと企てたのです。兄たちには隠されていたこのことですが、ヨセフの計画の中には織り込まれていました。
二、現されること
兄たちが、自分にしたことを罪と認め、また父ヤコブの苦しみを悟ったとき、ヨセフは真相を語りました。兄たちはあっけにとられていたことでしょう。頭の片隅にもなかったことが、実際におこったからです。しかもヨセフは、兄たちの悪を責めるのではなく、かえってこれが神のご計画であると訴えたのです。隠されていたご計画がここで現されました。
私たちの生涯にも、思いがけない災難が襲ってくる時があります。しかし、その出来事の背後に神のご計画があることを忘れてはなりません。たとえ自分の罪の結果として災難がおこったとしても、それを通して、神は悔い改めの機会を与えようとしておられるのです。主イエスが十字架の苦難を受けられたのも人々の悪意の故でしたが、それを通して神の摂理が現されました。
三、益となること
兄たちは、これが若いころのヨセフの夢の実現だったこと気づいたことでしょう。この飢饉がさらに5年間続くことを示したヨセフは、家族みながエジプトに移住してくるように勧めました。その結果、ヤコブとその一族は400年に渡ってエジプトで暮らし、200万の人口をもつ民族へと成長するのです。神の摂理は、人に益をもたらすものであることを知ってください。
神のご摂理の中には、人の苦難も含まれます。しかし、その苦難を乗り越えるために、神は将来のことを垣間見る機会を与えてくださるのです。ヨセフにとってそれは夢でしたが、現在の私たちはそれを聖書の約束、あるいはビジョンと言うことができるでしょう。エレミヤは、「平安を与える計画であり、将来と希望を与えるためのものだ」と記しています(29:11)。
今の私たちでも、神の摂理をすべて理解することはできません。しかし、私たちの生涯のすべてにわたって、神の愛の導きがあることは確実なことです。確かに苦難はあるでしょう。しかしそのただ中にあっても、神の摂理を信頼して、前向きに明るく生きていく者となりましょう。その生き方こそ、主が望んでおられることです。