2024.5.19メッセージ内容

「聖霊の働き」 ヨハネ16:7-13

その方、すなわち真理の御霊が来ると、あなたがたをすべての真理に導いてくださいます。(13節)

今日は教会暦ではペンテコステの日で、聖霊が降った日です(使徒2:1)。肉眼で見える主イエスの昇天後10日目にこのことが起こったのには明確な理由があります。どの時代のどんな人にも、「神が共におられる」という約束が実現するためには、目に見えなくても、実在する霊的なお方が必要だからです。

一、主イエスは去っていかれる

    最後の晩餐の席で、主はご自分が弟子たちの所から去ると言われ許されません。肉眼で主を見ることは、限られた人と期間にしかできません。しかし、去っていくなら「助け主」である聖霊が来られました。目に見えないからこそ、どの時代のどの場所にいる人にでも、「共にいる」ことが可能なのです。30数年間は地上に存在された主イエスは、その後、天で執り成しておられます。

    例えば愛する人が自分より先に亡くなったとします。しかしその思い出はいつまでも続きますし、写真でのその人は老いることはありません。実際の世界での存在よりも、もっと近くにいると思える時もあるでしょう。人間の場合はある限られた人にしかその記憶は残りません。でも主イエスの場合はより多くの人々の心に残るのです。そのためにこそ福音書は書かれました。

    二、聖霊は世の誤りを明らかにする

    罪というなら、多くの人は人に対して悪をなすことと考えるでしょう。しかし聖書の示す罪とは、主イエスを信頼せず、このお方が真の神であることを受け入れないことです。義とは、社会正義を行うことではなく、父なる神のみ旨にかなうことです。さばきとは、地上の支配者による善悪の判断ではなく、さらに大いなる方によって彼らさえもさばかれることです。

    現在の世の中では、罪も義もさばきも、見える社会における人々の行動に対して適用されます。しかし主の目から見るなら、それは限定された時代や国家だけのものであって、絶対的なものではありません。聖霊がおいでになるとき、神ご自身の判断が示されます。神から見た自分の罪深さとともに、そんな者を神の子としてくださる愛の偉大さが明らかにされるのです。

    三、聖霊はすべての真理を示される

    弟子たちは主と共に3年間生活しましたが、わからないことが多くありました。十字架や復活の意味もわかりませんでした。しかしペンテコステの後には、彼らはこれらの真理を大胆に人々に語るようになったのです。「真理の御霊」は、主が弟子たちに話されたすべてのことを思い起こさせてくださいます(14:26)。ですから主イエスと聖霊とを分けることはできません。

    さらに、聖霊は「いつまでもあなたがたとともにおられ」ると、主は約束されました(14:16)。単に知識を与えてくださるだけでなく、信頼する者と共にいてくださいます。ありのままの姿で祈れば良いのです。自分で何かをする前に、「どうしましょうか」と尋ねましょう。それを実行してうまくいかなかったとしても、それが主のみ旨だと受けとめて、別の道を祈り求めましょう。

    私たちの現在の生活は、すべて聖霊によって導かれるという確信は、私たちを励まし力づけます。父なる神によって選ばれ、御子イエスによって罪の赦しの恵みを受け、聖霊によって毎日の生活が導かれる生活。それがクリスチャンの具体的な歩みです。このとき、私たちはすべてのことについて感謝することができます。

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