2024.1.21メッセージ内容

「敵を愛する」 マタイ5:43-48

自分の敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい。(44節)

「山上の垂訓」の底流には、天におられる神は愛に満ちた父親のようなお方であるという認識があります。でも当時の多くの人々は、神は悪人を裁く厳しいお方と考えていました。そういう人たちに、神の愛がどのようなものであるかを語られたのです。聞いていた人々はびっくり仰天したことでしょう。

一、敵をも愛する愛

旧約聖書にも「兄弟を憎むな。隣人を自分自身のように愛せよ」と書かれていますが(レビ19:17-18)、「敵を憎め」とはどこにも書かれていません。でもユダヤ人は、繰り返される異国人の侵略に苦しみ、そう言わざるを得なくなっていたのです。そういう時代に、主イエスはたとえ敵であっても愛すべきことを命じられました。主のことばに納得した人は、その当時、ほとんどいなかったのではないかと思います。

現代のイスラエルの人々も、主イエスのことばをそのまま受け入れる人は少ないでしょう。ハマスに急襲され、愛する人を殺され、人質を取られている人々に、「敵を愛せよ」と言ったとするなら、袋叩きにあうかもしれません。しかし、敵に復讐しても決して平和は生み出されないことは、現状を見れば明らかです。2千年前に、主はこのことを知っておられたのです。

二、全人類を愛する愛

「天におられる父」は、ユダヤ人だけの神ではないことを、主は次の節ではっきりと教えられています。天は全世界を覆っています。そこにおられる父なる神は、全人類を等しく愛しておられるのです。この方は悪人と善人とを区別することなく、全人類に太陽を与え、雨を降らせてくださいます。海の幸や山の幸を備えてくださっていることを忘れてはなりません。

大災害が起こると、「神はなぜこんなひどいことをなさるのだ」と呟く人は多いのですが、自然界に満ちている良いものに感謝する人は少数です。天の父は、すべての人を愛しておられるからこそ、天地創造の初めから、豊かな自然を用意して下さっています。旧約聖書も新約聖書もこの事実をあちこちで記していることに気がつくなら、神の愛の偉大さが分かるでしょう。

三、完全をめざす愛

自分の子どもを愛する親は、世界中に満ちていますが、自分の子ども以外の子どもも同じように愛する親は滅多にいません。天の父が全世界の人々を愛しておられるように、私たちもそうできるなら、世界は変わります。そのことができるなら、私たちは「天の父なる神の子ども」です。「天の父が完全であるように、完全でありなさい」という命令は、その実現を目指しています。

しかし、現実の私たちは不完全きわまりない者であり、この世界では争いが満ちています。だからこそ、「神はそのひとり子をお与えになったほどに世を愛された」のです。これほど多くの愛を注いでくださった天の父がおられることを認め、その愛に心動かされて生きるなら、私たちの歩みは少しずつであっても変わっていくでしょう。それが父なる神の願いです。

世界中探しても、完全な父はいません。しかし、「天の父なる神」は完全です。天の父に愛されていない人は一人もいません。その愛を知れば知るほど、私たちの心の内にも愛が生まれます。その愛を実感して生きるなら、敵さえも愛することができるようになるのです。

目次