「闇に輝く光」 マタイ2:1-12
私たちはその方の星が昇るのを見たので、礼拝するために来ました。(2節)
紀元前7年、木星と土星が重なる「二星相合」という現象があったことが天文学の研究でわかっています。バビロンにいた星占いの学者が見た星はこれだったのかもしれません。博士(マゴス)たちはこの現象がユダヤ人の王の誕生を示すものと考え、星の出た西方にあるエルサレムにやってきました。彼らは3つのことをしました。
一、この方を求めた
ユダヤ人たちは、紀元前6世紀にバビロンで捕囚となっていました。その時、律法の巻物がバビロンのどこかに保管されたのでしょう。博士たちは「ヤコブから一つの星が進み出る」という預言を知っていた可能性が高いです(民数記24:17)。彼らはその預言を信じ、約千キロメートルも離れたエルサレムの町にやってきました。らくだに乗って3か月ほど旅したのだと思われます。
ユダヤ人だけでなく異邦人も、世界を変革するような偉大な人物の出現を待ち望んでいました。現代の日本でも同じでしょう。アメリカやロシア、その他の国々も、正義をもって人々を治める指導者を求めています。ただ、その人物は王宮にいると考えたのは博士たちの間違いでした。本当の王であるお方は、貧しい人々、悩み苦しむ人々の中におられるのです。
二、この方を礼拝した
博士たちがヘロデ王に謁見した時、「ひれ伏した」とは記されていません。彼らのその態度や、別の王を求めている姿に反感をもった王でした。律法学者たちが調べた聖書の預言を聞いた王は、自分の地位が奪われるのを恐れて、その幼子を殺そうと考えたのです。博士たちは預言を信頼してベツレヘムに向かいました。その時、星も輝きを増して、彼らを導きました。
幼子イエスと両親は、その時、家畜小屋ではなく一軒の「家」を借りてそこに住んでいました。決して立派な家ではなかったでしょう。でも博士たちはひれ伏して礼拝したのです。ヘロデ王のところでもひれ伏したかもしれませんが、礼拝はしませんでした。礼拝とは神に対してのみなされることです。遠路はるばるやってきた博士たちですが、幼子を神と受け止めて礼拝したのです。
三、この方に献げた
博士たちは、黄金・乳香・没薬を献げました。それぞれ、王としての権威・祭司としての祈り・預言者としての苦難を象徴する宝物です。この幼子がこれからなす働きを知っているかのような献げものでした。博士たちは何かの見返りを期待してこの献げもものをしたのではありません。この方にお会いできた喜びの表れでした。私たちの献金も同じ意味をもっています。
羊飼いたちは何も献げものをしませんでしたが、「神をあがめ、賛美しながら帰って」行きました。博士たちは、ヘロデ王に会わないために「別の道から自分の国に帰って」行きました。その後、彼らは二度と主イエスに会わなかったかもしれませんが、この出来事は彼らの心に刻みつけられていたことでしょう。救い主にお会いした時の喜びは消えることはないのです。
星は、闇の中を歩む人々に方向を示してくれます。この記事では、奇跡的な星が博士たちを導いて主イエスに会わせてくれました。現代の星は「みことばの光」です。「みことばは私の足のともしび、私の道の光です」(詩篇119:105)。毎日毎日みことばを読み、その光に従って、闇に満ちたこの世を生きていこうではありませんか。