2023.10.15メッセージ内容

「目標をめざして」 ピリピ3:12-21

上に召してくださるという、その賞をいただくために、目標をめざして走っているのです。(14節)

私たちがこの地上に生きているのは長くて百年程です。この人生で目標をめざして生きることは大切ですが、その後に目標はあるでしょうか。本書を書いたパウロは、この地上においてもその先においても、明確な目標を持っていました。ローマで軟禁状態にあった彼が抱いていた目標は何だったかを学んでみましょう。

一、前のものに向かって

パウロは素晴らしい伝道者でしたが、自分が完全な者になっているとは思っていませんでした。過去に積み上げてきた多くの業績があろうとも、そのような「うしろのもの」を忘れ、ひたむきに神が喜んでくださる生き方を求め続けていました。昨日の自分より一歩でも前に進むことを願っていたのです。そのような生き方を「手本」とするように、彼は大胆に宣言しています。

たとえば、夏の間、柿の木にはまだ青い実がついていました。でもそれは不完全な実ではありません。時がたつと、それは熟した実となるのです。同様に、今私たちは不完全な所があるでしょうが、主イエスという幹に繋がり続けているなら、豊かな実を結ぶことができます。過去に失敗があってもそれを悔い改め、常に主イエスと交わって成長するという目標をもちましょう。

二、上のものに向かって

さらに、パウロの目は上を見上げていました。この地上の生涯が終わっても、上、すなわち天国に召されることを目標としていたのです。そこでは賞がいただけます。多くの人々は自分の欲望を神のように思い、地上で楽な生活をすることだけを考えています。そんな生き方は、主イエスの生き方の正反対であり、「十字架の敵」であるとパウロは主張しているのです。

確かにこの地上では、衣食住のすべてにおいて必要なものがあります。しかし、よりカッコいい衣服、よりおいしい食事、より快適な住まいなど、欲望はとどまることがありません。そのようなものを求め続けるなら、満足する日はこないのです。主イエスは、「神の国と神の義を求めるなら、これらのものは(おまけとして)与えられる」と約束されました。重要なのは、目に見えない神の国であることをパウロは教えています。

三、栄光のからだに向かって

現在の私たちのからだは、「卑しいからだ」と言われています。前を向き、上に向かって歩んでいても病気をしたり、困難にあったりします。肉体を持つ限り、いろんな誘惑も生まれます。しかしそのような卑しいからだが、復活された主イエスの「栄光に輝くからだ」と同じ姿に変えられることをパウロは確信していました。主が再びこの地上に来られる日に、この約束は成就します。

パウロが生きている間に、この約束は実現しませんでした。いえ、それから2000年たった今も実現していません。しかし、その日を待ち望んでいた人々は、どんな迫害があってもそれに打ち負かされることはありませんでした。ハンセン氏病だった玉木愛子というクリスチャンは、「毛虫這う、蝶となる日を夢見つつ」と詠みました。これが彼女の目標だったのです。

私たちの人生には、多くの小さな目標があるでしょう。それに向かって進むことは素晴らしいことです。でもたとえ失敗しても、上を見上げることを忘れてはなりません。主イエスは、この地上で何をなしたかではなく、どのように生きたかを尊重される方であると知りましょう。

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