「弟子になった人」 ルカ5:1-11
恐れることはない。今から後、あなたは人間を捕るようになるのです。(10節)
主イエスの最大の使命は人類の罪を贖うことでしたが、もう一つ大切にされたことは弟子を選任し、彼らを宣教に遣わすことでした。すでに主に従っていたペテロに明確に弟子となる決心をさせるため、主は3つのことをなさいました。彼がまだ、ガリラヤ湖で漁師としての仕事をしていた時のできごとです。
一、従うことを求められた
ペテロは主イエスを「先生」と読んで尊敬していました。群衆に神の国の福音を語っておられた主は、多くの人々が聞きやすいようにペテロの舟を借りて、そこから話されていました。話し終えられた主は、ペテロに「魚を捕りなさい」と命じられたのです。一晩中漁をしていたペテロは疲れもあったので断りたかったのですが、「おことばですので」としぶしぶと沖へ出て漁を始めました。
主は、前夜のことも彼が疲れていたこともご存じだったことでしょう。しかしあえて彼にそう命じられたのは、主のことばに従うことの大切さを教えるためでした。現代の私たちも、自分の考えや方法があるでしょうが、それでも主に従うかどうかが問われます。自分は何でも知っていると思ってはなりません。真の弟子には謙遜になって、主のことばに従うことが必要です。
二、自分の罪を示された
驚くほど多くの魚が網にかかったとき、ペテロは「儲かった」とは思いませんでした。魚の居場所をご存じの主は、自分の心の奥底までもご存じであることに気づき、「主よ」と呼びかけます。これは先生以上に偉大な方であることを表す呼びかけです。そして主の前にひれ伏し、「私は罪深い人間です」と告白したのです。自分の罪を認めることは、そう簡単ではないにもかかわらず。
主に従うようになり、主のことばを聴くようになるなら、当然、自分の罪深さがわかってきます。人に対して傲慢にふるまっていただけでなく、神に頼る必要などないと思っていたことや、誰にも知られていない罪に心が痛むようになるのです。私たちも、聖書を読んだときや説教を聴いたときに、自分の罪が示されたという経験があったことでしょう。そのような、悔いた砕けた心をもつことが真の弟子になる秘訣です。
三、新しい使命を与えられた
「私は罪深い人間です」と認めたペテロに対して、主は「あなたは人間を捕るようになるのです」と言われました。それまで魚を捕ることに時間を用いていたペテロに、新しい生き方を示されたのです。彼は、それまで用いていた舟や網などの「すべてを捨てて」、主と行動を共にする決断をしました。直後には、取税人マタイも同じことをしていることに注意しましょう(28節)。
当時も今も、自分の生活を維持するために何かの職をもつことは不可欠です。職業を変えるためには相当の決断をせねばなりません。確かに主の弟子になることは簡単ではありませんが、主はあえてペテロを選ばれたのです。それから現在に至るまで、主は多くの人々にこのことばをかけられてきました。そしてそれに応える人々がいたゆえに、福音は広がっていったのです。
現在、自分の仕事を捨ててまで主に従っていくことはできないかもしれません。でも、仕事を通して「主の栄光を現す」ことはできます。単に主のことばを聞いて去っていく「群衆」ではなく、聞いたことに応答する「弟子」として、日々を歩む者となろうではありませんか。