「成就した預言」 ルカ4:16-30
あなたがたが耳にしたとおり、今日、この聖書のことばが実現しました。(21節)
新約聖書の学びに戻りますが、主イエスの福音宣教の働きは、旧約聖書の預言に基づいていることを知ることから始めましょう。本書の著者であるルカはユダヤ人ではありませんでした。でも旧約と新約との深い繋がりを知っていたからこそ主の働きの初めにおこったこの出来事を記し、福音がどのように成就したかを示すのです。
一、解放の福音(罪の赦し)
主イエスの評判がガリラヤ地方でどんどん広がっていったので、故郷ナザレの人々は喜んで主を迎え、安息日に聖書の解説をするように願い出ました。その時、イザヤの書が手渡されたので、主は61章を開き、貧しい人に良い知らせを伝える人物が「今日」登場したことを大胆に宣言されます。罪に捕らわれていた人々が、その罪から解放されるという福音が成就したのです。
福音の意味することは、まず罪の赦しです。旧約時代、イスラエルの多くの人々が神に背いて生きていました。その結果がバビロン捕囚だったのです。しかし主イエスは、民の背きの罪を赦すためにおいでになりました。十字架の出来事はまだ3年後のことでしたが、主の使命は明確でした。現代でもこの福音を語らねばなりません。特伝はそのために開かれています。
二、開眼の福音(臨在の自覚)
当時の盲人は苦しい生活を余儀なくされていました。主が盲人の目を見えるようにされたとの奇跡は何度も記されています。これは、肉体の目だけではなく、霊的に盲目の人々の目が開かれ、救い主を見るようになることも意味しています。「神などいない」という人々は、私たちの周囲にも多くおられるでしょう。そういう人々が神の存在を認めるために主は地上に誕生されました。
後に記されているように、この主の使命を理解できた人もいました。しかし、ナザレの人々は主が「ヨセフの子」であると思っていたため、主に反発したのです。このことは今もそのまま当てはまります。多くの人はイエス・キリストを歴史上の人物と認めることはできても、神の子とは認めません。それと対照的に、主イエスが神の子と信じる人は、主がいつも共にいてくださるという臨在の恵みに励まされて生きていけるのです。
三、自由の福音(奉仕の生涯)
「虐げられている人を自由の身とする」ことは当時あった奴隷制からの解放を意味していました。しかし聖書はもっと根本的な自由を教えています。「キリストは、自由を得させるために私たちを解放してくださいました」(ガラテヤ5:1)とは、「束縛からの自由」だけでなく、「人に仕える自由」をも意味しています。自分勝手な自由ではなく、喜んで奉仕する自由です。
主の生涯を学べば学ぶほど、この自由がどれほど大切かを知ることになります。主が弱い立場の人々を支え、必要な助けを与えられたことを知れば、私たちもそのようにしたいと願うようになるでしょう。旧約聖書に登場するエリヤとエリシャが神の民でない異邦人に祝福を分かち合ったことが旧約聖書に書かれているのは、異邦人に仕えることの大切さを示すためでした。
イザヤの預言の成就を宣言された主イエスですが、もともとあった「神の復讐の日」という句をあえて省かれたことに注意ください。神の復讐は、ご自分が十字架でお受けになることを意識されていたからに違いありません。今は、「主の恵みの年」であることを感謝しましょう。