2023.08.20メッセージ内容

「祝福への出発」 創世記12:1-9

わたしはあなたを大いなる国民とし、あなたを祝福し、あなたの名を大いなるものとする。 (2節)

アブラハムは、「信仰の父」と言われています。彼の生き方が、信仰とはどのようなものかを具体的に示しているからです。これからの数回、アブラハムの実際の歩みから、一般的に言われている「信仰」とは一味違う、大切な意味を学びたいと思います。彼は75歳の時、今までとは違う生き方に出発したのです。

一、偶像からの決別

アブラハムの父テラはカルデア人の住んでいたウルに住み、偶像の神に仕えていました(ヨシュア24:2)。末息子が死んだ後、彼は家族を連れてユーフラテス川をさかのぼり、ハランの町に移住しました。しばらくして、アブラハムが75歳のとき、彼は妻サライと弟の子ロトを伴って、父の家を離れる決心をしました。その最大の理由は、偶像の神々から決別するためだと思われます。偶像は共同体に大きな影響を与えていました。

アブラハムは、人間が手で造った神が真の神であるとは思えませんでした。目に見えるものはどんなに美しく偉大に見えようとも、いつかは無くなるからです。目には見えないが天地を造られた方がおられるとの確信を彼は持っていました。さらに、偶像は人間の願いを叶えるために拝まれていることも見抜いていたのです。

二、人格神への信頼

ある日、彼は「あなたは父の家を離れて、わたしが示す地へ行きなさい」という声を聞きました。どこから聞こえたかもわかりません。しかし、自分に「わたしーあなた」と個人的に語られる存在を知り、この方こそ真の神だと確信したのです。偶像からは一度もそのような語りかけを聞いたことはなかったのでしょう。人ではなく神と、このような「人格的関係」をもったのです。

「神のかたち」に創られた人間は、本来、このような関係をもつことができるのですが、多くの人はそれを知りません。でもこのことを知った人には喜びがあります。神の方から「あなたを祝福する」と約束され、しかもその祝福は自分だけでなく、「地のすべての部族」にまで広がるからです。自分の欲ではなく、全世界を祝福される神がおられることをアブラハムは知りました。あなたは神とそのような関係をもっているでしょうか。

三、困難への挑戦

神からの祝福の約束があっても、それを受け入れて従うことは簡単ではありません。当時は「地縁・血縁」で成り立っている社会でしたから、「わたしが示す地に行きなさい」と言われても、大きな決断が必要だったことでしょう。しかし、アブラハムは約束された神を信頼して、「主が告げられたとおりに」出ていきました。信仰は、このような挑戦を私たちにつきつけます。

この後のアブラハムの歩みをたどると、困難に直面するたびに彼は祭壇を築き、主の御名を呼び求めています。彼に語られた主は、必ず約束されたことを実現してくださるとの信頼があったからでしょう。信仰の本質は、この信頼関係にあります。新約聖書には、この信頼関係を目に見える形で主イエスが示されたことが記されています。信頼は困難をも乗り越えさせてくれます。

私たちも時には困難に直面することがあるでしょう。その時に、人が造った偶像の神に呼び求めても正解は出てきません。私たちを愛して、人格的な関わりをもってくださるお方がおられるのですから、この方を信頼して呼び求めるなら、周囲にも広がる祝福が与えられるのです。

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