「バベルの塔」 創世記11:1-9
彼らのことばを混乱させ、互いの話しことばが通じないようにしよう。(7節)
神の形に創造された人間ですが、自由意志があるゆえに神に背くようになりました。その罪が裁かれたのがノアの洪水でした。しかしこの後も、人間の生き方は変わりません。「バベルの塔」はそのような人間の姿を明確に示しています。洪水後、再び人口が増えていき、知識を獲得し、広い地域に進出していきました。
一、技術の進歩
バベルとは、古代に栄えた都市バビロンのことを指していると言われています。ユーフラテス川中流にあったようです。ここに定住した人々は、高温のかまどで焼かれたれんがを発明し、また接着力の強い瀝青(アスファルト)を用いるようになりました。これらの技術を利用して、高い塔を建てようとしたのです。技術の進歩は、人間の生活を豊かにしてきたことは否定できません。
しかし、れんがを作るために大量の樹木を伐採したため、この地は砂漠化の一因になったと学者は言います。産業革命後の世界も、多くの化石燃料を用いたために二酸化炭素が増加し、地球温暖化を招いたと推測されています。技術の進歩は確かに生活を便利に快適にするのですが、それが神の創造された世界を壊している一面があることを忘れてはならないのです。
二、高慢な態度
人間は、「頂きが天に届く塔」を造ろうとしました。これは、天の神にとって代わろうとする態度の表れです。「自分たちのために…塔を建てて、名をあげよう」いう高慢な思いがあったのです。このことに対して神は、「彼らがしようと企てることで、不可能なことは何もない」と仰せられました。アダムとエバは、「神のようになる」と言う蛇のことばに誘惑されましたが(創世記3:5)、それと同じ過ちを繰り返したのです。
確かに人間は理性を用いて多くのことができるようになりました。高層建築を実現し、宇宙にまで進出し、AIが多くの仕事をする時代になってきました。しかし、「神のようになる」ことは、決して人間にはできません。「神は死んだ」と高慢に言う人でも、死を免れることはできないのです。技術の限界を認め、謙遜に生きていくことこそ、現代に不可欠な態度と言えるでしょう。
三、権力の集中
「われわれが地の全面に散らされるといけない」ということばに注目しましょう。彼らは、一つの地域に住んで権力を維持しようとしたのです。神の「産めよ、増えよ、地に満ちよ」と言われた命令に反します。神は、「あらゆる民を造り出して、地の全面に住まわせ」たいと願っておられるからです(使徒17:26)。それに伴って、言語は多様化します。彼らはそれを嫌っていたのです。
権力の集中は、独裁者や帝国主義を生み出す下地になります。権力維持のため、同一の言語が必要とされます。でも神はあえて「彼らのことばを混乱させ」られました。互いの考えが通じないようにされたのです。地の全面に散らされた人間は様々な国を造り、違った言語や文化の中で生きるようになりました。だからこそ、多様性を認めた上で、理解し合う努力が必要になります。
人間は、決して神の立場に立とうとしてはなりません。私たちは神に造られた被造物です。どんなに技術が進歩しても、傲慢になってはなりません。互いの弱さを認め、様々な違いを認めながらも、理解し合うことを求めましょう。互いに愛し合う世界を造るために生きていきましょう。